2014年11月17日月曜日

駆け出しのころ/清水建設専務執行役員・今木繁行氏/一つの上の立場で考える大切さ

 入社して構造設計部に配属されたのですが、本当は現場でものづくりに直接携わることを望んでいました。でも、「石の上にも3年」の心境で設計の仕事を覚えようと頑張りました。  大きな転機は28歳の時。結婚が決まり、上司の部長に披露宴に出ていただきたいとお願いした際に、「今度一緒に食事をしよう」と誘ってもらいました。その食事の席で「会社はどうかね」と聞かれ、「現場に出たい」とお願いしたんです。部下からいきなり異動したいと聞かされては嫌がられるかと思いましたが、意外にも「それはよいことだ」と言っていただけたのです。度量の大きい方でした。  そうして現場に出たのが、結婚3カ月後のことです。大学院を出て設計の仕事をしていたとはいえ、現場では何も分からず、苦労しました。「自分はこんなにも仕事ができないのか」。そう痛感して相当に落ち込んだものです。  それに自分の願いはかなったものの、「設計部の今木さん」と結婚したはずの女房は、私が現場で働くことなど考えもしていなかったようです。現場に出ると、帰りは遅く、休みもほとんどない。「約束が違う」などと言われもしましたが、自分が望んだ道でしたので、「5年は待ってほしい」と頼みました。  次に担当した宇都宮市内の建築現場は、かなりの突貫工事でした。その時もまだ現場経験は浅かったのですが、とにかくやらなければいけなかったので、何とか知識だけでも深めたいと仕事が終わってからもいろいろ勉強したのを思い出します。  実はこの現場で、大きな失敗をしました。私の判断ミスで工期を遅延させてしまったのです。この時に発注者であるメーカーの方から、「自分の立場ではなく、一つ上の立場になって考えると判断を間違わない」と教えていただきました。今でも大きな教訓であり、同じことを会社の若い人たちにも言っています。  例え設計図が同じでも、現場所長によって造り方はいろいろあるものです。無地のキャンバスに描くというクリエーティブな仕事ではありませんが、施工者には、どう造るかというアレンジャーとしての面白さがあります。  私は入社後すぐに現場に出ていたら努力はせず、普通に仕事をしていたかもしれません。遅れて出たので努力せざるを得なかったのだと思います。今も仕事漬けの日々は変わらず、家では「もう30年も待っている」などと言われています。  (いまき・としゆき)1980年京大大学院工学研究科建築学第二専攻修了、清水建設入社。東京支店工事長、07年執行役員建築事業本部東京建築第三事業部長、08年人事部長、10年北陸支店長、13年常務執行役員などを経て、14年4月から現職。滋賀県出身、59歳。

新人時代に構造設計を担当したが、いつか現場でものづくりに携わりたいと思っていた

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