2019年2月4日月曜日

【駆け出しのころ】応用地質取締役常務執行役員・佐藤謙司氏


 ◇仕事で得た知見次に生かす◇

 中学生のころから考古学に興味を持ち、苫小牧で行われた大規模開発に伴う遺跡調査を手伝っていました。そんな経験もあって地下との関わりへの関心から岩盤工学を専攻するようになり、大学院まで進みました。

 進路をどうしようか考えていた2年時の9月ころだったでしょうか。教授の部屋に当時の札幌支社長が技術年報の最新刊を持って来ていました。たまたま部屋に入ると教授から「佐藤君、面白そうな会社だから行ってみたら」と言われことが、入社のきっかけとなりました。数分の違いで部屋に入ったら、ほかの院生に声が掛かっていたのかもしれません。

 入社して岩盤関係の仕事に就くのだろうと思っていましたが、配属先は当時、埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)にあった地盤工学研究所でした。動土質研究室に入り、地震時の液状化の発生などを研究しました。途中名称も変わったその部署に計5年在籍しました。

 32ビットのパソコンが神様のような時代、それを駆使して液状化でどの程度地盤が変形するかといった解析を行いました。試験から解析、評価まで一連の流れを経験したことは、自分にとって大きな財産になりました。

 その後札幌に転勤となり、2年後の1993年に北海道で釧路沖地震、北海道南西沖地震と二つの大きな地震が起きました。堤防や港湾施設が被害を受け、被災施設の復旧対策の検討に従事することになります。ここで動土質研究室に5年間いた経験がベースとなり、検討もスムーズに進み、復旧工事の施工管理も行いました。

 北海道での経験から、堤防の被害対応には随分と関わりました。洪水が発生した時に堤防が耐えられるのかといった検討にも携わりました。現地調査を行い、被害のメカニズムに適合した対策を提案し、それが採用されれば施工に至る過程も見ることができました。

 入社から一貫して上司には恵まれていたと思います。数々のアドバイスをいただきましたが、特に印象に残るのは仕事の進め方についてです。「仕事が遅くなった時、どうして遅くなったのかを考えなければいけない」。そんなアドバイスから、1回経験したプロセスを次に使えるよう整理しておくことの重要性を考えるようになりました。

 パソコンもまだ普及していない時代に、ボタン一つで次に使えるような計算結果が出てくるシステムを作り、社内で結構使ってもらいました。

 仕事で得た知見は、ほかの人にも伝えていくことが効率化にも役立つと思います。組織的に取り組めば、幅広くお客さまに提供できるサービスや商品のきっかけにもなるでしょうし、業績にもつながっていくはずです。

札幌支社勤務時代の一枚。
雪の中で取り組んだ斜面監視システムの設置作業で
(さとう・けんじ)1983年北大大学院修了、応用地質調査事務所(現応用地質)入社。執行役員札幌支社長、戦略事業推進本部河川事業推進室長、エンジニアリング本部副本部長、東京支社長、常務執行役員サービス開発本部長を歴任し、16年3月取締役に。北海道出身、60歳。

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