◇萎縮せず何事にも挑戦を◇
大学で建築を学ぶ中で自分には意匠・設計より構造・施工系の方が向いていると考え、コンクリート施工系の研究室に進みました。佐藤工業に入社して配属されたのは東京支店。当時の新卒の研修方針として、入社式の翌日に支店の入店式が行われ、式典が終わった当日の午前10時には作業服に着替えて現場に出ていました。
最初の現場は東京・日本橋にある信用金庫本店の事務所ビル。現場で地下水対策(ディープウェル)の作業をしていた60代の協力業者の方が、右も左も分からない新人監督に敬語を使い、丁寧な口調で話されたことに驚きました。建設現場で働いている人たちはみんな気性が荒いと思い込んでいたため、逆の意味でカルチャーショックを受けたのを覚えています。
1年目はひたすら現場に出て躯体・仕上げ墨出しの毎日。忙しくなると一人で作業することも多くなり、いかに効率良くできるかを自分なりに考えながら工夫しました。酒席で上司が話した「現場の作業を一通りやってみたら」の一言を真に受け、とびや左官などの仕事も職人さんと一緒にやらせてもらいました。
実際にやってみないと分からない部分も多く、新たな気付きも多かったです。よく間違えたり、怒られたりしましたが、新人扱いされずにいろいろな仕事を任せてもらい非常に勉強になりました。
最初の現場がとてもハードだったので、2年目に担当した短大の校舎の新築工事ではかなり苦労が減りました。現場作業が始まるまで余裕があったため、忙しくないことが逆にストレスになり軽い胃潰瘍になったのを覚えています。
転機になった現場は、入社4年目ごろ躯体途中から配属された東京・八丁堀の事務所ビル。所長のほかは自分と土木系の契約社員一人という限られた人員の中、現場に入って2日後に所長がぎっくり腰で寝込んでしまいました。現場はうまく進んでおらず、協力業者の方々も困っており、何も分からない状況で自分が詳細工程表を作り、現場を進めなければなりませんでした。
「このまま放っておいたら現場が大変なことになる」と感じた職長たちが話し合い、来たばかりの若い監督を何とか盛り立てて現場をうまく動かそうと一致団結。職人たちと早く打ち解けるようにと、私の歓迎会を開いてくれました。現場のすべてをコントロールして工程表を作成した経験はなく、これまで以上に真剣に取り組み、動けない所長に電話であれこれ確認しながら、時には職人の方々にもアドバイスを仰ぎ、所長が復帰するまでの約1カ月、何とか現場を回すことができました。
技術者として目の前のことに真摯(しんし)に対応し、相手の話をきちんと聞くことを大切にしてきました。さまざまな壁にぶつかりましたが、若い人たちには萎縮せず何事にも挑戦し、思い切って仕事をしてもらいたいです。
入社6年目、東京都内のマンション建設現場の現場事務所で |
(かつやま・まさあき)1985年東京都立大学工学部建築工学科卒、佐藤工業入社。執行役員九州支店長、同建築事業本部長(現任)などを経て2020年9月から現職。長野県出身、60歳。
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