2021年1月25日月曜日

【駆け出しのころ】八千代エンジニヤリング取締役専務執行役員・水野高志氏

  ◇自分の色を仕事に残す◇

 大きなものを造ることに興味を持ち、土木の世界を志しました。いろいろな立ち位置で事業に携われる建設コンサルタントは自分に合っていると感じ、八千代エンジニヤリングへの入社を決めました。入社当時は鹿島の石川六郎社長が当社の会長を務めており、「君たちも会社を代表する一人なのだから、バッジ(社章)を付けて責任ある行動を取りなさい」と訓示を受けたのを覚えています。

 1年目は構造関係の部署で軟弱地盤対策に携わりました。会社から霞ケ浦の現場まで車で片道3時間の道のりを、傾斜計など大型の精密機械を抱えながらの移動は正直つらかったです。

 当時の上司の指導方針は「つまらない仕事は俺がやるから、それ以外の(難しく、面白い)仕事を担当してくれ」。個性的な方で周りには煙たがる人もいましたが、自分が成長する上では大変ありがたかったです。

 2年目の終わりごろから1年半ほど鹿島の土木設計本部に出向しました。若いうちに自社とは異なる会社の内情を間近で見られたのはいい経験となり、特に同期の競争意識の高さには刺激を受けました。

 当社に戻ってから4年間は、首都高速湾岸線の鶴見つばさ橋(下部構造)の設計・解析業務を担当。道路橋示方書の適用外のため、エンジニア側で検証しながら個別に仕様を固めていくスペックレスの業務を、専念して取り組めたのは大きな経験となりました。

 入社10年目ごろから河川管理に関する業務に関わりました。河川内での工作物の設置許可基準を明文化する業務では、現地調査を行いながら欧米の考え方なども整理した上で、日本の基準の在り方を検討。続いて河川管理施設等構造令の改正に向けた検討にも関わりました。政令・省令関係の仕事は大変でしたが、限られた人しか担当できない仕事であり、やりきった時の達成感は格別でした。

 2000年ごろから希望して担当したPFI関連の仕事は、最適な事業スキームを自ら組み立てる面白さがあります。橋梁やダム分野のPFI案件の具体化にも取り組みましたが、日本では土木構造物の新規案件への導入は難しいと判断。アセットマネジメント業務を行いながらメンテナンス分野でPFI事業参入を模索しました。最初のころは社内でも旧来の慣習ややり方を変えるPFIに批判的な声もありましたが、今では主要の事業領域として認知されています。

 自分なりの色が仕事に残ることにやりがいを感じます。他の人と同じことを自分がやらなくてもいいのではと考えることもあり、やはり任された仕事には自分の足跡を残したい。若い人たちも自分の意見や考えを大切にし、仕事にプライドを持って感動を味わってほしいです。

入社6年目、出勤前の自宅玄関で

 (みずの・たかし)1981年信州大学工学部土木工学科卒、八千代エンジニヤリング入社。技術推進本部長や八千代グリーンエナジー取締役(現任)を経て2018年から現職(取締役専務執行役員技術管理本部長)。北海道出身、61歳。

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