2019年11月11日月曜日

【駆け出しのころ】若築建設代表取締役執行役員副社長・坂本靖氏

 ◇真摯に学ぶ姿勢を大切に◇

 高校生の時に田中角栄が打ち出した「日本列島改造論」の演説などを見聞きし、これから日本がどんどん変わっていくことを肌身で感じました。その根本にある社会資本、インフラ整備にかかわろうと思ったことが、土木の道を志したきっかけです。

 大学では海岸・波浪・水理分野を学び、就職活動の時に担当の先生から若築建設を薦められて入社しました。最初は本社の技術開発部で浚渫船のカッターヘッドの改良など、海中の濁りを抑えるための工法改良に携わりました。実際の工事現場で試行と実験データ収集などを繰り返しながら現場の環境改善に取り組みました。

 その後、名古屋支店に異動して5年ほど現場に勤務。宅地造成の現場では山奥の作業所に寝泊まりし、朝から晩まで先輩について測量をしていました。月に一度は作業所のみんなで街へ飲みに繰り出すなどの息抜きもあり、1年半の人里離れた生活も苦ではありませんでした。

 海上土木の現場で最初の仕事は、ラジオの気象情報を聞きながら天気図を作ること。当時の自分は各ポイントの風向と風力を地図に書き込むのが精いっぱいでしたが、先輩たちは今の気象予報士のように海象の変化などを的確に予想し、今後の作業計画に反映していました。

 沿岸技術研究センターに2年間出向した時には、官民の幅広い分野の人たちと知り合い、人脈が広がったのは大きな財産です。同じ釜の飯を食べた行政や同業他社の当時の仲間たちとは、今も付き合いが続いています。

 横浜支店に戻ってからの十数年は相模湾の漁港関係の仕事などに従事しました。地元の漁師の方々とも仲良くなり、生しらすを食べさせてもらったのは一番の思い出です。

 2000年に転勤した九州支店では、未経験の営業を担当。少しでも話術を磨こうと考え、母校の大学にある落語研究会に入れてもらい、2年ほど通いました。話はうまくなりませんでしたが、相手との会話では間の取り方の重要さなどを教わりました。

 同支店に新設した総合評価対策室も任されました。なかなか受注につながらず大変なこともありましたが、これまでにない業務に面白みを感じたのを覚えています。自社が得意なことをアピールしながら、そのでき次第で工事を受注できることに楽しさも感じました。

 若い人たちは先輩たちから真摯(しんし)に学ぶ姿勢が何より大切です。学んだことをさらに後輩たちに伝え、つないでいく。仲間や家族を大事にする心も含め、創業130周年を来年迎える当社が築いてきたものを大切にし、次に引き継いでいくことは私たちの責務です。

入社8年目ごろ。
出向先での同僚の送別会で司会役を務めた
(さかもと・やすし)1978年九州大学工学部水工土木学科卒、若築建設入社。大阪支店長や建設事業部門長・安全環境本部副本部長・設計部担当役員(いずれも現任)などを歴任。2019年6月から現職。山口県出身、65歳。

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