顧客への細かな気配りとサービスを欠かさない |
鹿児島県内の工業高校を卒業した富崎宏明さん(仮名)が東京都内の地場ゼネコンに就職したのは、バブルが弾けた直後の1993年。高校のころからデスクワークではなく、ものをつくる仕事に就きたいと考えていた。東京に出たいという気持ちもあり、高校に届いた求人票から今の会社を選んだ。
最初に配属された現場は民間企業が建設する大型社宅の工事現場だった。現場監督の補助が仕事。もちろん最初は何も分からないので、掃除や片付けばかりだった。その中で工事の手順や仕事を徐々に覚えていった。入社したばかりのころは、現場が多くの職種の人で支えられているということさえ知らなかった。マンションやオフィスビル、病院などさまざまな現場を体験し、30歳のころに現場所長となった。
率直に言って非常にきつい仕事だと思った。当時は夜遅くまで現場事務所で書類作成や翌日の工程管理の検討などをやっていた。昼間も次から次に仕事は舞い込んでくる。最近は改善されてきているが、それが当たり前の時代だった。同じ時期に入社した社員の中には辞める人も少なくなかった。
現場のマネジメントの難しさも体験した。現場の職人さんは10~70代と幅広い年齢層の人がいるし、それぞれ性格も違っている。それぞれの人の性格に合わせた伝え方が大切だと痛感した。思いが伝わっていないと結果として自分の思いと違ったものが出来上がってしまうことになる。いかに思いを伝えるか。「現場はやはり人と人で創っていくものだと思う」。
会社は本社近くの駅周辺で、多くの中小ビルの建設や改修に関わり、顧客の要望に迅速対応することをモットーにしている。要望は扉の開き方やコンセントの位置、部屋の間取りの変更など多岐にわたる。
「当初の図面と若干、違いが生じても、できるだけ要望に対応するようにしている。使い勝手の改善に関して、こちらから改善を提案することもある」。地場ゼネコンとして日常の仕事で日頃から顧客へのきめ細かなサービスを欠かさないようにしている。
仕事のやりがいは「何と言っても、顧客から“やってもらって良かった”と感謝される」こと。相手にとっては数億円といった大金をかけて工事を行う。一生に一度あるかないかという事業なだけに「そういう仕事で相手から評価されることはうれしい」と話す。
今は、公園をリニューアルする工事の現場所長を務めている。公園内にカフェなど来訪者が集まれる施設を整備する。地元の自治会役員から期待の言葉を掛けられた。
現場所長になって13年ほどたった。「安全衛生、現場の利益を含めすべてが自分の責任。いつもプレッシャーは感じている。しかし、この仕事に就いて良かったと思っている。上司にも恵まれた。満足している」と胸を張る。
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