2016年9月12日月曜日

【駆け出しのころ】ケミカルグラウト専務取締役総合基礎工事本部長・小牧正行氏

◇世紀のプロジェクトで経験積む◇

 入社して最初に配属された現場は、埼玉県内に建設されるダムの調査横坑を掘る工事です。地盤改良を専門とする会社ですから、同期の人たちはそうした現場にいました。私だけがトンネル掘削の現場で、皆から遅れてしまうのではないかと心配で仕方がありませんでした。

 1年がたち、ようやく皆と同じような工事を担当できると思っていたら、今度は青函トンネルの現場に赴任するよう命じられました。これでまた遅れてしまうという焦りがあり、実は辞退させていただいたんです。若かったせいか、「世紀のプロジェクト」と言われてもあまり関心がなく、とにかく同期の皆に追い付きたいとの思いが強かったのを覚えています。

 そうして他の現場を担当していたのですが、1974年12月、青函トンネルで異常出水が起きて人手が足りなくなり、会社からどうしても行くよう言われ、二度は断れないので決心して赴任しました。

 青函トンネルの現場では、鹿島の一員として青森県側の竜飛工区の掘削、注入工事を担当しました。作業坑内のボーリング横坑掘削中に出水が発生した時、坑内には夜勤の私と作業員しかいなかったのですが、不思議と逃げようという気にはなりませんでした。地上の事務所に急ぎ電話を入れたものの、そこから切羽まで来るにはどんなに急いでも40分ほどかかります。とにかく大量の水を何とかしようと無我夢中で対策工を実施しました。

 この現場には5年ほどいました。当時はまだ20代。本音を言うと早く転勤したいと思っていましたが、ここで働いている間に結婚もしましたし、私にとっては忘れられない現場になりました。それに青函トンネル工事で駆使された技術は、その後に担当した難易度の高い現場にも応用でき、大変に役立ちました。

 これまでの経験も踏まえ、現在は社員に改善・改良する意識を持つよう言っています。チャレンジできるのが現場です。通常の工法で淡々と進めるのもいいですが、生産性を上げるために新しいことにチャレンジし、それがうまくいけば大きなやりがいを感じられます。日常業務が忙しい中でもぜひチャレンジしてほしいと思っています。

 30代初めに海外工事を担当することになり、当時の石川六郎社長を赴任のごあいさつで尋ねた時のことです。緊張している私に「無事に帰ってらっしゃい」と温かい言葉を掛けていただきました。そのお部屋で、青函トンネルの先進ボーリングが海底に貫通した際に飛び込んできた魚の剥製を見られたのも貴重な思い出になっています。

 (こまき・まさゆき)1971年ケミカルグラウト入社。施工本部岩盤工事部長、取締役基礎本部長兼基礎工事部長、常務などを経て、14年から現職。神奈川県出身、63歳。
20代の頃に携わった青函トンネル工事の現場で
(左から二人目が本人)

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