東京都心に近代和風建築-。東京・港区が4月1日に開設する「港区立伝統文化交流館」は、1936(昭和11)年完成の建築物を曳き家(ひきや)で移動させ、オリジナルの意匠を最大限に活用する。
昭和初期の趣をそのままに、芝浦地域の伝統や文化の隆盛に思いをはせる新たな施設に生まれ変わる。
伝統文化交流館の建築物は、目黒雅叙園(東京都目黒区)を建設した細川力蔵が施主となり、大工棟梁(とうりょう)の酒井久五郎が建築。当時多くの芸者でぎわっていた芝浦花柳界の「見番(けんばん)」として、芸者の取り次ぎや遊興費の精算などの業務を担っていた。
太平洋戦争の激化により花街が移転したことなどを背景に、東京都港湾局が1944年に建築物を取得。2000年の老朽化に伴う閉鎖まで「協働会館」として、港湾労働者の宿泊施設や地域住民の集会場、芸能の稽古場などとして利用されていた。
閉鎖後は芝浦の歴史を継承する施設として、建築物の保存を望む声が高まった。06年6月には建築物の現地保存を希望する請願が区議会で採択された。区は09年4月に都港湾局から建物の無償譲渡を受け、14年12月には土地の取得も決定。15年2月に保存・利活用のための整備計画を策定した。
□「見番」保存改修に曳き家工法□
利活用に当たっては、建築基準法といった現在の法規制に適合させるため、改修工事を実施する必要があった。現地で工事するには敷地が狭かったため、曳き家工法を採用。約8メートル先の現在地(芝浦1の11の15)に移動させた。
改修工事では既存の部材を最大限活用した。屋根では状態が良い木材はそのまま使用した。正面玄関のタイルも曳き家前に分割し再度貼り付けた。
室内の扉や窓も継承した。一部の窓には直線的な幾何学模様が施されている。区の担当者は「幾何学模様は中国で採用されたケースが多く、日本の建築では珍しいと聞く」と話す。
1階と2階をつなぐ階段も特徴的だ。手すりには日本の寺院などで見られる「擬宝珠(ぎぼし)」が配置されている。一方で階段部分は「西洋建築で多く取り入れられているという」(区担当者)曲線的なデザインが採用されている。外観で目に飛び込むのは、銅板を敷いた「唐破風(からはふ)」。城郭をほうふつとさせるデザインが、重厚なたたずまいを演出している。
伝統文化交流館は2階建て。1階には芝浦地域の移り変わりを写真やムービーを交えて紹介する「展示室」と「情報コーナー」、コーヒーや軽食を提供する「憩いの間」を配置する。地域の特産物の販売コーナーも設ける。
2階はかつて芸者たちが腕を磨いたヒノキ板の舞台を備える「百畳敷き」の用途を踏襲。伝統文化に関連した講座や落語などの公演に利用できる「交流の間」となる。地域のコミュニケーションの場として一般開放する時間も設ける。
□伝統文化継承へ有意義に活用□
事業では曳き家後の改修工事に加え、事務所やエレベーターなどの機能を設けた「増築棟」を新築した。既存建築物と増築棟の総延べ床面積は550平方メートルとなる。
基本・実施設計・工事監理は青木茂建築工房(大分市、青木茂代表取締役)が手掛けた。中央建設(東京都港区、渡部功治代表取締役)の施工で、19年12月20日に竣工した。
伝統文化交流館の開設に当たり、武井雅昭港区長は「(都内で唯一現存する木造の見番施設として)建築物が持つ価値、地域の中で果たしてきた価値を大切につなげていきたいと思っている。伝統文化を継承させていくために有意義な施設として活用してもらえる」と期待する。
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