2020年2月10日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・246

都市計画の関連業務は技術者にとって根気のいる仕事だ

 ◇人に誇れる仕事がしたい◇

 大手建設コンサルタントで都市計画の立案業務に携わる朝比奈隆さん(仮名)は、自身が誇れる仕事をしたいと思い、建設関連業界に飛び込んだ。土木エンジニアを目指したきっかけは実家の程近くにあった「明石海峡大橋」の存在が大きい。大規模橋梁の設計を手掛けたいという思いをかなえるため、大学で土木工学を学んだ。恩師の勧めもあって上京と同時に建設コンサルへ入り、最初は地質調査業務に携わった。

 その後、三大都市圏や地方都市への転勤を経験。主に自治体の発注業務を担当した。日々仕事と向き合う中で「さらにレベルの高い仕事に就きたい」と強く感じるようになり、ステップアップを目指して転職を決意。友人の意見も参考に現在働く会社への移籍を決めた。胸に抱いているのは土木エンジニアとして「自慢できる仕事をしたい」という夢。一心不乱に仕事と向き合った。

 転職後は一貫して都市計画の立案に携わっている。最初に手掛けたのは高速道路の調査・設計業務。当時の上司に「発注機関や住民との折衝が必要になるので勉強するように」とアドバイスを受けた。高速道路という息の長いプロジェクトはさまざまな意見を持った関係者、地元住民らと接する。

 約2年の調査設計業務で住民説明会は60回を超えた。そこで得た教訓は「両者の意見をくみ取り、真摯(しんし)に向き合うしかない」ということ。計画を受け入れてもらうため丁寧な説明を心掛けた。努力が実を結び計画は順調に進んだ。完成した道路を見て、自分の仕事が報われたような気がした。

 その後は西日本エリアを中心に地方勤務を繰り返した。神戸の支店に勤務していた時には、1995年1月に発生した「阪神・淡路大震災」の対応にも当たった。一日も早い復旧・復興を願い、緊急車両が通行できるよう道路幅員の確保や道路橋の補修設計などに必死に取り組んだ。

 首都圏と違い地方都市の場合、業務を受注する上では地元企業が最大のライバルになる。常に「地元企業の牙城を崩すにはどうしたら良いか」を考え、徹夜もいとわず提案書を作り続けた。だが、不思議とつらいとは思わなかった。約2年間の支店勤務でまとめた提案は50件に上る。徐々にではあるが業務の受注量も増えた。

 地方に骨をうずめるつもりだったがある日、本社勤務を命じられた。後進を育てる立場の今、若手時代に上司から言われた「何のために仕事をしているのか」という言葉の意味を改めて考えるようになった。自分自身も答えを見つけられてはいないが、それでも後輩には「自分で考えて行動する」よう指導している。

 都市計画という仕事は1年や2年で結果が出せるものではない。10年以上のスパンでようやく結実するケースが多い。信念を曲げずひたむきに仕事と向き合うことが「人を動かす」と感じている。会社に利益をもたらすことも重要だが、一人の人間として誇れる仕事をしたい。その思いが原動力になっている。

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