◇自ら考え行動する面白さ◇
ただ漠然と「エンジニアになりたい」と考え、実家から近い高等専門学校に進学しました。専攻分野は機械や電気などの身近なものではなく、よく分からないことを理由に土木を選びました。ひたすら勉強、勉強で大変でしたが、大きなものを造る土木の魅力を学ぶことができ、今思えば土木を選択して良かったと思っています。
特に交通工学の先生による交通計画の授業でプランニングの楽しさを知りました。将来はそういった仕事ができるコンサルタント会社に入ろうと考えました。
土質の分野も好きだったこともあり、卒業後は地質調査会社に入り、地盤関係の調査・解析に携わりました。27歳の時に「一生を土と格闘して終わってしまうのか」と悩み、土木事業の大きな計画づくりなど上流側の仕事をしたいと考えて転職を決意。縁あって長大に入社しました。
「計画をやりたい」と希望を伝え、まずは大阪支社の計画技術部に配属されました。道路沿道環境業務に携わり、国の出先事務所にも出向しました。地元対応や建設省(現国土交通省)とのやりとりなど、道路計画の上流側で解決しなければならないことを肌身に感じ、その後のコンサルワークに役立っています。
1995年には阪神淡路大震災後に設立された神戸支店に異動。復興関連業務に従事したほか、環境アセスマニュアルの改定やプロポーザル対応など、さまざまな業務にかかわりました。プロポの提案書作成を自ら手を挙げ、徹夜して仕上げるなど、そんな姿が評価されたのか、社内の技術創造委員会のメンバーにも指名されました。チャレンジに寛容で個人を伸ばしていこうというベンチャースピリットが長大の根底にあります。
2000年に広島支社へ異動し、ここでもいろいろな業務に携わりました。業務発注でプロポーザルが全盛となり出した当時、課長の自分と部下数人で多種多様な業務の提案書づくりに、寝る間を惜しんで取り組みました。
さまざまな問題・課題を多角的に捉え、解決手段を導き出すのがコンサルの妙味であり、面白さ。基本的にノーと言わない私の周りは苦労していると思います。上司には「この業務を通じて、塩釜は何がしたいのか」とよく問われました。目の前の仕事を漫然とこなすのではなく、自分で考え判断して行動に移す大切さを教わりました。
若い人たちには社会をより良くしたいなど、コンサルワークに対する自分の考えや幹を持ってほしい。インフラにかかわる技術者として、自分たちで考えたことが形になる、最上流で仕事をする面白さを知ってもらいたいです。
計画系コンサル業務への思いが強まった27歳ごろ |
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