2019年10月28日月曜日

【駆け出しのころ】大林道路代表取締役専務執行役員・斉藤克巳氏

 ◇コミュニケーションで好循環を◇

 年上のいとこたちが土木分野に進んでいたこともあり、自分も自然とその道を歩いていました。学生時代は建設会社で働いていたいとこに誘われ、夏休みに現場の仕事をアルバイトで手伝い、作業員宿舎で寝泊まりしたこともありました。

 大学の友人のお父さんが道路会社を経営しており友人宅へ遊びに行った時、「道路には夢があるぞ」と声を掛けられたのが、就職先として道路会社を意識したきっかけです。まだ道路ネットワークが未整備で交通インフラの基本となる道路整備があちこちで進められており、やりがいのある仕事だと思っていました。

 大林道路での初任地は北海道の留萌工事事務所でした。それまで北海道に行ったことはなく、未知の場所で働くことに不安よりも面白そうだという気持ちが勝っていました。事務所にはアスファルト合材工場が併設され、1年目は材料の試験関係や配合設計など、日々の出荷のための試験を主に担当しました。

 当時、北海道支店は毎日のように舗装工事が行われ、アスファルト合材の出荷量も相当なもので、仕事に明け暮れていました。羽幌港の沖合にある焼尻島内に観光道路を整備するため、朝早くから船を使って現地にアスファルト合材を運搬したことは懐かしい思い出の一つです。

 冬季は北海道での工事がほぼできなくなるため、東京や大阪の現場に出稼ぎのように来ていました。3年目の冬に大阪支店へ転勤となり、その後7年間、近畿圏の現場を中心に勤務しました。

 親会社である大林組が和歌山で製鉄会社の工場建設工事を受注した際には、当社は機械基礎の工事を任され、入社5年目の自分と2年目の後輩の2人で担当しました。プレッシャーはありましたが、大きな構造物の構築工事を経験し、技術者として大きな自信を得ることができました。

 その後に赴任した東京支店では、当社独自の推進工法「SH工法」などの推進工事を専門で扱う総合工事事務所長を務めました。役所や設計事務所、地元建設会社への売り込み、現場での導入支援などのため東京支店管内を駆け回っていました。

 私たちの仕事は顧客の要求内容をよく理解し、それ以上のものを提案して造り上げることが大切です。いい仕事をして次の仕事につなげる好循環をつくるには、顧客はもちろん、工事にかかわる関係者すべてとコミュニケーションをよく取り、つながることが不可欠です。1人でできることは限られていますが、みんなの力を借りて工事を進めていけば10倍、20倍もいいものができます。

 信念を持って目の前の現場、仕事に当たることが大切です。働いていれば大変なことはありますが、いいものを造ろうと現場にこだわり、自分の考えを施工方法に取り入れてそれが結果につながっていけば、自然とわくわく感が増して、仕事が楽しく感じられるようになると思います。

入社2年目ころ。北海道支店幹部、留萌工事事務所
の関係者らと(左から2人目が本人)
(さいとう・かつみ)1978年日本大学理工学部土木工学科卒、大林道路入社。中部支店長、関東支店長などを経て2019年4月から現職。埼玉県出身、65歳。

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