2020年9月29日火曜日
【回転窓】時代とともに変わるもの、変わらないもの
【記者手帖】まずは社会構造から
【施工は清水建設、復元完了は2022年3月】第一次大極殿院南門に金箔仕上げの屋根飾り設置
24日には西側の屋根にも鴟尾を設置しており、両端に美しい飾りがお目見えした。復元工事の設計・工事監理は文化財建造物保存技術協会、施工は清水建設がそれぞれ担当。来年夏ごろに素屋根の曳き屋工事が行われ、22年3月に南門の復元が完了する。
南門は第一次大極院殿の正門で、天皇が役人たちへの叙位やうたげを催した場でもあった。入母屋造(木造平屋)の二重門で高さは約20メートル、幅22・1メートル、奥行き8・8メートル。延べ面積は195・7平方メートル。南側にある朱雀門よりもやや小さい。
南門の復元工事は2017年11月から始まり、19年から奈良県など紀伊半島産のヒノキなどを加工した部材の組み立て作業が本格化した。順調に工事が進む中で、屋根の瓦の取り付け作業がほぼ完了し、両端に高さ1・5メートル、重さ約480キロの青銅製の鴟尾を設置した。飾りには唐草文様などが描かれ、表面に7630枚の金箔(きんぱく)を貼った。
この日は午前10時すぎに作業が始まり、クレーンで9メートルほど持ち上げた後、作業員が屋根の東側に慎重に据え付けた。
【三井不レジとナイキジャパンが連携】東京・豊洲にスポーツパーク、10月10日オープン
6995平方メートルの敷地に立体型ジャングルジムやバスケットボールコート、スケートボードコート、クラブハウスなどを配置。高低差を設けたランニングトラックで取り囲む。設置期間は10月10日~2021年9月20日を予定している。
所在地は所在地は豊洲6の4の1。設計はジーエー建築設計社が担当した。車いすのままシャワールームや遊具が利用できるなど、多くの人がスポーツを楽しめるようにした。バスケットボールコートやランニングトラックなどの床材は地球環境に配慮し、ナイキの余剰製造素材や使用済み製品を再利用した「Nike Grind」を採用している。
【歩行者の利便性や回遊性が向上】変わる渋谷駅、西口連絡通路と再開発ビル接続デッキが供用
渋谷駅街区開発計画を進めている東急、JR東日本、東京メトロが整備した「西口連絡通路」と、道玄坂一丁目駅前地区市街地再開発組合、東急不動産が整備した「渋谷フクラス接続デッキ」。渋谷駅と高層複合ビルの渋谷フクラスが地上2階でつながり、歩行者の回遊性が高まった。
連絡通路、接続デッキとも新型コロナウイルスの流行に配慮し供用開始を先送りしていた。施工は連絡通路は東急建設、接続デッキが清水建設。
渋谷駅の西口は旧東急百貨店東横店内の通路がJR線、東京メトロ銀座線、京王電鉄井の頭線の乗り換えで使われていた。西口連絡通路の供用に伴い同店内の通路は25日の終電で閉鎖された。今後同店の解体工事が本格的に始まる。
西口には関東地方整備局東京国道事務所が再整備した渋谷駅西口歩道橋がある。西口連絡通路から接続デッキを経て渋谷フクラス内の通路を通れば、国道246号の南側や桜丘町方面にアクセスしやすくなる。
【社会・経済発展に貢献】2020年度選奨土木遺産に黒部ダムなど26件
土木学会(家田仁会長)は28日、2020年度「土木学会選奨土木遺産」として26件を選定したと発表した。戦後の電源体制を支えた水力発電所用の大規模貯水施設で、トンネルや軌道など関連施設を含め難工事を経て完成した黒部ダム(富山県立山町ほか)などを選んだ。
選奨土木遺産は00年度に創設した。原則竣工後50年経過した交通や防災、農林水産業、エネルギー、衛生、産業、軍事などの用途に供された広義の土木関連施設を対象に、社会へのアピールや街づくりへの活用といった観点から選考委員会(天野光一委員長)が審査を行った。青銅製の銘板を授与する。
神居大橋(北海道旭川市) |
日光いろは坂第1・第2(栃木県日光市) |
黒部ダム(富山県立山町ほか) |
ビルと高架道路、地下鉄駅の一帯整備(大阪市中央区) |
2020年9月28日月曜日
【回転窓】秋といったら赤とんぼ
【新型コロナで変化の潮流】変わる働き方と住まい方、開発事業の計画見直し顕在化
不動産協会(不動協)の菰田正信理事長は「アフターコロナでどうなるのかを見据えて、(事業計画を)見直すケースが出てきていると思う」と現状を分析する。新型コロナが収束したとしても、「別のウイルスなどが5年、10年後にまた出てくる可能性は否定できない」と指摘。コロナ禍と同様の事態を見据え、建設するビルに強力な換気設備、非接触でエレベーターやエントランスに入場できるシステムなどの導入を「各社考えている」状況という。施設の造り込みによって「工期が伸びる事例も出てくる」との考えも示した。
ビル1棟の建設にとどまらない複合開発も「どの用途にウエートを置くか」(菰田理事長)再検討する事例が出ている。アフターコロナの街づくりで重要な役割を期待される用途の一つとして挙がっているのが屋外空間だ。
三菱地所はJR東京駅前で進める複合開発プロジェクト「TOKYO TORCH(トウキョウトーチ)」の計画概要を17日発表した。地上レベルに約7000平方メートルの広場などを整備する計画。プロジェクト全体で設ける屋外空間は約2ヘクタールに達する。
当初計画で屋外空間の広さは約1・2ヘクタールだったという。同日、東京都内で会見した三菱地所の茅野静仁執行役員常盤橋開発部長は「コロナ禍もあり外での活動がより重要になっていくと再認識した」と経緯を説明。2027年度竣工予定の超高層ビル「Torch Tower(トーチタワー)」に設ける約2500平方メートルの屋上庭園などを「新型コロナ発生後、計画に追加した」と明らかにした。開放的で広大な屋外空間を確保し、仕事の場などとして活用してもらう考えだ。
東京都内で再開発事業を計画するある準備組合は、関係権利者にアンケートを実施した。「新型コロナを受け特に増やした方がいいと思う機能」を質問したところ、最も多かった回答は広場や空地だった。準備組合事務局は「小さい公園だと『密』になりがち。子どもたちが気兼ねなく遊べる大規模な空間を求めているのではないか」と結果を分析している。
新型コロナの収束は先が見えない状況にある。社会・経済活動に与える影響は大きく、都市開発など建設関連プロジェクトも今後の動向はつかみにくい。安心して過ごせる空間をどう造り上げていくか-。ニューノーマル(新常態)に対応した街の在り方が問われている。
【途絶えた往来、回復の道程は】東京都有識者会議、インバウンド復活へ対応模索
東京の名所から外国人観光客の姿が消えた |
◇受け入れ再開へ模索、国内観光のてこ入れも◇
インバウンド(訪日外国人旅行者)は復活するか-。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は観光産業に大打撃を与えた。世界中で人々の往来が途絶え、年3000万人を超えた日本国内のインバウンド需要は一気に消滅。ただ、観光分野の専門家や宿泊事業者からは先行きを楽観視する意見も。ウィズコロナの視点でインバウンドの受け入れ態勢を整える道筋を探っている。
「インバウンドは復活する。そのように皆さんの意見は一致している」。東京都庁で9日に開かれた観光振興に関する都の有識者会議。元観光庁長官で国連世界観光機関(UNWTO)駐日事務所代表の本保芳明氏はそう強調し、インバウンドを再び迎え入れるための態勢を準備し、国際的なプロモーションを継続するよう訴えた。
国を挙げてインバウンド振興に注力する中で「国内観光には無かった革新の手段を得てきた」と本保氏は指摘する。デジタルマーケティングや滞在型観光のノウハウを生かし、国内観光を活性化させる短期的な戦略を描く。
本保氏はインバウンドの熱狂がいったん落ち着いた今だからこそ、「地域、住民に寄り添った持続可能な観光」を目指すべきだと提言。「もはや成長一辺倒の政策はあり得ない。エビデンスベースの観光地経営やSDGs(持続可能な開発目標)への貢献が政策要素に入っていなければ次の展開にはつながらない」と今後を展望した。
国内観光のポテンシャルを生かし切れていないという認識は、多くの識者に共通している。小西美術工芸社社長のデービッド・アトキンソン氏も「インフラ整備で観光地はどんどんレベルアップしているにもかかわらず、日本人はそれを認知していない」と国内観光向けの情報発信の弱さを嘆く。
一方、宿泊事業者はどう見ているか。星野リゾート代表の星野佳路氏は、当面は国内観光にシフトしたとしても「来年にはインバウンドが戻り始める」と予測。森トラスト社長の伊達美和子氏は「インバウンドは不況のたびに必ずV字回復してきた。(新型コロナで)ニーズそのものが無くなったわけではない」との見方を示した。
ただ乗り越えるべき課題も多い。コロナ禍で表面化した不当な差別や偏見が、インバウンド復活の足かせになることを星野氏は懸念。「『外国人お断り』が出てきてはいけない。偏見を持たない受け入れ態勢を業界が徹底することが大切だ」と強調した。
星野氏はホテル内の感染対策を宿泊客が評価できる仕組みの導入も提言した。宿泊客のチェックにさらされることで感染対策を日々進化させられるという。伊達氏は宿泊客だけでなく「従業員も守らないといけない」と訴え、都に「安全・安心に向けたプロモーションをしてほしい」と要望した。
現状のホテル経営は綱渡り状態で、雇用調整助成金の特例措置やGo Toトラベル事業に頼っている面がある。星野氏は国内観光の需要創出に向けたイベント解禁などを都に要請。伊達氏は、飲食店などのテラス利用を促進する都の助成制度に言及し「公開空地やピロティの利用に自由度がほしい」と注文した。
有識者会議に出席した小池百合子知事は「観光事業者の感染防止対策の支援、安心して旅行できる環境整備に取り組む」と表明。「観光産業が元気になれば、経済活性化や雇用創出で東京の成長をけん引するものとなる。東京の稼ぐ力に磨きをかけるためにも新型コロナ対策をしっかりやる」と決意を述べた。
【凜】松江工業高等専門学校・芹川由布子さん
自由な校風、部活動やコンテストなど充実した課外活動、学校生活をサポートしてくれる先生たち。高専の教員を目指したのは自らの経験があったからこそ。福井高専で土木を学び、金沢大学に進学して地震・防災を専攻して博士号を取得した。
松江高専に採用され着任したのは1月。「学生と身近に接することができること」がやりがいだと話す。自身が大きく成長できたのは15~20歳のころだった。だからこそ、多感な時期を迎えている学生に「楽しさやうれしさ、つらさや悲しいことなどいろいろな体験をしてもらいたい」と目を細める。
学業で大切になる卒業研究では「学生を外に連れ出して地域の方に触れ合ってもらう環境を用意したい」と考えている。学校というフィールドを飛び出し「地域という教材で防災を学んでほしい」という願いがある。
男社会だった建設産業も徐々に変わりつつある。高専で教壇に立ちながら「建設業に女性の活躍の場が多くあることを紹介していきたい」と強く思っている。
小学校から大学までバレーボールを続けた。経験を生かして女子バレーボール部の顧問を務める。チームは全国高専大会で優勝するほどの強豪だ。好きな言葉は「Learn hard Enjoy more」。教員生活はスタートしたばかり。学び続ける姿勢を絶やさず、楽しむ気持ちを忘れずに理想の教員像を追い求めていく。
(環境・建設工学科助教、せりかわ・ゆうこ)
【やっぱり!マイ・ユニホーム!!】伊藤組土建(札幌市)「スタイリッシュで屋外作業に最適なデザイン」
屋外での活動に適した作業服に仕上げるため、夏用は薄く通気性の良い生地、冬用は厚くて保温性に優れた生地を選択。以前はなかった女性用のサイズもそろえた。
作業服と一緒にヘルメットと防寒着もリニューアルした。特に防寒着は冬が長く厳しい地域特性を考慮し保温性に重点を置いて制作。人の目に触れる機会の多い現場での着用を考え、作業服の上から着てもスマートに見えるようデザインにこだわった。
社員からは「以前よりスタイリッシュになった」「ポケットの配置が良く使いやすい」と評価も上々。ユニホームづくりに携わった総務部の薄木かなこさんは、「社内と業者との調整にかなり労力を費やしたが、社員が新しい作業着を着ているところを見ると達成感が沸いてきた」と出来栄えに胸を張る。
【駆け出しのころ】熊谷組執行役員経営企画本部長・川村和彦氏
◇悩みや苦労を成長の糧に◇
早く一人前になりたいという思いが常にありました。就職活動ではさまざまな業界を回って働きがいがあり、自分が成長できそうな分野を絞り込んでいきました。最終的には社会貢献を肌感覚で実感できるものづくりの中でも、インフラなどスケールの大きな仕事を手掛けるゼネコンを志望。当時は絶好調で海外事業に強く、社員の方々も伸び伸びと仕事をしている印象を受けた熊谷組に強く興味を引かれたのを覚えています。
最初に配属された東京支店では、都心区の建築・土木の現場を抱える工事所で勤務し、現場事務のことを学びました。技術・知識を何も身に付けていない状況で、まずは人の話を聞いて仕事を覚えようと無我夢中の毎日。上司や先輩たちに恵まれ、夜の部も含めて鍛えられました。
若いころは成長への焦りもあり、会社に十分に貢献できていないのではないかと悩んでばかり。毎月の給料から1万~2万円は書籍の購入費用に回すなど、とにかく自分に力を付けることに飢えていました。
入社4年目に東京支店の経理課に異動。自分の中で視野を広げる転機になりました。支店だけで受注目標2000億円と言われていた時代。手持ち工事が多く、平成元年4月の消費税導入への対応もあり、仕事量は膨大でした。一心不乱に入金伝票を切り続け、知らぬ間に朝を迎えたことも。決算になれば終電過ぎまで仕事をしていました。バブル期でなかなかつかまらないタクシーで帰宅し、数時間後に出社するなど、大変な日々でしたが、最後までやりきる仕事への姿勢が身に付いたと思います。
入社14年目に出向したグループのガイアートクマガイ(現ガイアート)で人事制度の整備に携わりました。独立意識の高い同社の社員からすると、着任時は「敵陣地の真ん中に下りてしまった落下傘部隊」のような雰囲気。仕事を一生懸命やるだけでなく、毎日のように酒を酌み交わしながら語り合うことで打ち解けていきました。1年足らずで親会社に呼び戻される際には盛大な送別会を開いてもらい、うれし泣きしたのを思い出します。仕事や人間関係の面でも大きな財産となりました。
熊谷組に戻り、時価会計導入に伴う社内の制度変更を担当。未知の領域だった退職金や年金の仕組みなどを必死に勉強して取り組んだ経験は、自分に力が付いたことを実感できました。今思えば、自分にとってロケットの発射台のような成長の機会となりました。
成長の道筋は一直線ではなく、停滞する時期もあります。仕事の向こう側にお客さんの顔を思い浮かべながら、自分で自分を鍛え、不変ではない常識を磨き続けることも大切。若い人たちには悩み、苦労した経験を成長の糧とし、前に進んでほしいです。
入社3年目ころ。建設業トーナメントで優勝した熊谷組 サッカー部のチームメートと一緒に(前列左端が本人) |
(かわむら・かずひこ)1985年北海道大学経済学部経済学科卒、熊谷組入社。関西支店管理部長、経営企画本部経営企画部長などを経て現職。東京都出身、58歳。
2020年9月23日水曜日
【回転窓】ダムからの秋の贈り物
【ODA案件が9割超】19年度海外コンサル受注、アジア地域が過去最高の1045億円に
総額の72・9%を占める。うち政府開発援助(ODA)案件は989億円。著しい経済成長を背景にアジア各国ではインフラ整備計画が潤沢で、特に鉄道をはじめ運輸交通分野の大型案件の受注がけん引した。
19年度の受注総額は1433・7億円(14・1%増)となり、過去最高を更新した。地域別に見ると、アジア地域の件数は370件と前年から9件減少したが、1件当たりの受注額は増え、受注額は前年の901・2億円から約144億円増加した。
9割超が国際協力機構(JICA)の円借款事業。「南北通勤鉄道事業」(フィリピン)、「ダッカ都市交通整備事業」(バングラデシュ)、「ヤンゴン-マンダレー鉄道整備事業(フェーズ2)」(ミャンマー)といった10億円以上の大型契約が全体を押し上げた。
一転、20年度は世界中に広がるコロナ禍の影響を受け、アジア地域でも受注実績が下振れする見通しだ。事業費が大きく、日本企業のノウハウが生かされる本邦技術活用条件(STEP)が適用されるアジアでの案件について、国建協の担当者は「大型案件はフィリピンが終わると残るはバングラデシュだけではないか」と指摘しつつも、会員各社にとってアジアが主戦場となるトレンドはこの先も続くとの見方を示す。
【10月着工、施工は東洋建設】稲毛海浜公園(千葉市美浜区)に海上ウッドデッキ整備へ
延長90メートル、幅10メートルのデッキを砂浜から海に突き出す形で整備。上部にカフェやイベントスペースを設ける。砂浜にリゾート感を生み出し集客の目玉とする。施工は東洋建設。10月に仮設工事に入り、2022年4月の供用開始を目指す。
デッキは海上部分の延長が約47メートル。砂浜から徐々に高くなり末端部は5・2メートルの高さになる。満潮時でも海水につからない。カフェやイベント空間として活用し、車いす用のスロープも設ける。
計画によると11月に基礎杭工を開始する。21年3月ころに床板設置、ウッドデッキ敷設、舗装工に入る。浜部の整備、カフェの設置などを経て22年3月末までに工事を終える。事業費は約6・4億円。このうちウッドデッキ本体の工事費約5・9億円を千葉市が支出。カフェなどの整備費約5000万円は同連合体が負担する。
市は同公園のリニューアルに当たり民間の資金とノウハウを活用。公募型プロポーザルで17年6月にワールドパークが代表の連合体を事業者に選定した。連合体はホワイトビーチ(白い砂浜)や海へ延びるウッドデッキ、グランピング施設、温浴施設、既存施設をリノベーションした宿泊施設などを提案した。
18年に着工し19年5月に潜堤、同10月に砂浜が完成した。バーベキュー場が今年7月に暫定開業するなど整備を進めている。
【民間事業者、分割募集から一括募集へ】築地市場跡再開発、事業者選定の方針転換
小池知事は「先行整備とそれに続く本格整備の事業者を2022年度に一体的に募集する方向で実施方針を検討していく」と表明。東京五輪・パラリンピック開催延期の影響で当初の段取りが崩れ、民間事業者の選定方針を転換する。
跡地開発を4段階に分けて進める方針は、昨年3月に策定した「築地まちづくり方針」に明記されている。ゼロ段階は20年ごろ、第1段階は22年ごろ、第2段階は20年代半ば、ゼロ段階の再整備となる第3段階は周辺インフラの整備状況を踏まえて民間事業者を募集することを想定していた。ただ当時から段階ごとに分割募集せず、一括募集する可能性も除外してはいなかった。
跡地は東京五輪・パラリンピック時に車両基地として利用する。都は当初、19年度にゼロ段階の事業実施方針を策定し、開発を担う民間事業者を募集する予定だった。だが五輪などの開催延期で土地の貸し付けが可能になる時期が不明確となったため、公募時期も見直さざるを得なくなった。
築地まちづくり方針では跡地を▽おもてなしゾーン▽交流促進ゾーン▽ゲートゾーン▽水辺の顔づくりゾーン-の四つに区分けし、誘導する機能を示した。浜離宮恩賜庭園側のおもてなしゾーンには国際会議場や上質なホテル、中央部に位置する交流促進ゾーンには集客・交流施設、研究開発施設、晴海通り側のゲートゾーンには交通ターミナルやホテル、サービスアパートメント(SA)、水辺の顔づくりゾーンには船着き場をはじめ水辺を活用したにぎわい空間を設ける。
既存のMICE(国際的イベント)の枠を超え、東京のブランド力を創出・発信する「創発MICE」の実現を街づくりの目標に掲げている。小池知事は所信表明で「民間の力を最大限に活用しながら、東京の価値を高め、持続可能な発展へとつながる街づくりを推進する」と意気込みを語った。
2020年9月18日金曜日
【回転窓】女性からの視座
【Torch Towerは高さ約390m】東京駅前常盤橋プロジェクト(東京都千代田区)、街区名は「TOKYO TORCH」
街区の名称は「TOKYO TORCH(トウキョウトーチ)」とし、総延べ約74万平方メートルの施設群を設ける。施設群のうち最大規模の延べ約54万平方メートルの「Torch Tower(B棟)」は、三菱地所設計で設計が進んでいる。施工者は決まっていない。
計画地は千代田区大手町2、中央区八重洲1にまたがる約3・1ヘクタール。三菱地所が個人施行者を務める「大手町二丁目常盤橋地区第1種市街地再開発事業」で、整備が進んでいる。
B棟は地下4階地上63階建て延べ54万4000平方メートル。高さ約390メートル。主用途はオフィス。低層部に店舗や、MICE(国際的なイベント)に対応する約2000席のホールを配置する。約100室の国際級ホテルを高層部に誘致する。地上1~8階を結ぶ、延長約2キロの空中散歩道や、約2500平方メートルの屋上庭園も整備する。2023年度の着工、27年度の竣工を目指す。街区内では「常盤橋タワー(A棟)」も建設中。規模は地下5階地上40階建て延べ14万6000平方メートル。事務所や店舗が入る。設計・監理は三菱地所設計。戸田建設の施工で21年6月末の完成を見込む。延べ約2万平方メートルの「変電所棟(C棟)」、延べ約3万平方メートルの「下水道局棟(D棟)」も整備している。
A、Bの両棟の間に約7000平方メートルの屋外広場を設けるなど、屋外空間は街区全体でおよそ2ヘクタールに及ぶ。屋外オフィスやリフレッシュの場として活用してもらい、ニューノーマル(新常態)の働き方に対応する。
17日に都内でプロジェクトの説明会を開いた。三菱地所の吉田淳一社長は「事業コンセプトは『世代や国境を越えて、日本を明るく元気にする』。コロナ禍などによって停滞感が漂うからこそ、あえて明快なコンセプトにした」と説明した。トウキョウトーチを拠点に「(地方自治体などと連携した)参加型の街づくりを通じて地方と都心をつなぐ役割を担い、日本を元気にしていく」考えを示した。【名古屋中心部に新名所誕生】久屋大通公園北・テレビ塔エリア、きょうオープン
グループの構成企業は三井不動産と大成建設、日建設計、岩間造園。市の事業者募集で2018年2月に選定され、19年1月から工事を進めてきた。
久屋大通は都心の栄地区を南北に貫く幅員100メートルのシンボル道路。中央部が都市公園になっている。市は、リニア中央新幹線開業を見据え、公園の再整備を栄地区再生の起爆剤に位置付けていた。
北・テレビ塔エリアは、このうち外堀通から錦通までの延長約1キロで、面積約5・4ヘクタール。再整備では、テレビ塔を中心に南北を結ぶシンボリックな都市軸を形成。テレビ塔が映り込む水盤、防災拠点にもなる芝生広場などを配置した。商業施設には飲食、物販などの約34店舗が出店、にぎわいと交流を演出する。
市は引き続き、南エリア(延長約800メートル)も再生するため現在、基本計画の作成と事業スキームの検討を進めている。
2020年9月17日木曜日
【回転窓】ご飯のおかわりは勘弁を
【凜】水資源機構筑後川下流総合管理所・下嶋みか子さん
九州などに甚大な被害が出た2020年7月豪雨のさなか、ゲート開閉をはじめ筑後大堰の緊急対応に奔走した。停滞した梅雨前線の影響からの洪水を安全に流下させる措置。塩害の防除と、水道や農業への利水のために下げているゲートを20年度は6度も全開することになった。大堰は完成から35年になる。「被災者として報道される人たちが『家は大丈夫?』と心配してくれた」と発災当時を振り返り、「大きな励みになった」と使命感を一段と強くした。
祖父が土木技術者。幼いころの記憶にダムの写真がある。「不便をなくしたい」と土木の道を志し、大学の恩師の勧めで土木の幅広い仕事のある水資源機構で働くことを決めた。全国に転勤し、「技術を幅広く生かせる仕事がしたい」と考えてきた。最初の徳山ダムの現場はスケールに圧倒された。小石原川ダムの建設事業に従事した後、下流の筑後大堰に4月から着任した。
子供が3歳になるまでの育児休業や、小学生の間の勤務時間短縮といった子育ての手厚い支援措置を生かして、仕事と育児を両立させてきた。「周囲のサポート」に感謝し、これからも「時間が限られる中での生産性」にこだわる。後輩には「機会を逃さず、いろいろなことに取り組んで」とエールを送る。夫の仕事の都合もあり家族がそろって過ごせる時間は限られるが、「防災の仕事」に誇りを持ってくれる家族をとても心強く思っている。
(筑後大堰管理所主査、しもじま・みかこ)
【中堅世代】それぞれの建設業・266
◇納得するまで仕事にこだわる◇
「すみません、もう一回やらせてください」。トランシーバーから岡村誠一(仮名)さんの申し訳なさそうな声が響いた。関西地方のサッカースタジアムに取り付けた可動式屋根の最終テスト。多くの関係者が終わるのを待っていたが、設計担当として納得するまでテストを繰り返した。中途半端な仕事はしたくなかった。2003年冬の夜、寒風吹きすさぶ屋根付近に登っての作業。眼下には夜景で有名な地方都市のきらびやかな姿が浮かんでいた。街のにぎわいが伝わってくるようだった。
山形県出身。地元の高等専門学校で電気電子工学を学んだ。「建築的要素があって何より動くのが面白い」と、1995年に開閉式屋根の施工を手掛ける現在の勤務先に就職した。初めて開閉屋根の設計を手掛けたのは小学校や幼稚園、プールなどが入る東京都内の複合教育施設だった。
現場に入って2日目。先輩からいきなり「悪いがあとは1人でやってくれ」と仕事を任された。先輩は別の大型案件を抱えていた。「現場で何を聞かれても分からない。『会社に持ち帰ります』としか言えなかった」。
社会に出て働くうちに学歴の差を感じることが多くなった。高学歴の人がどんどん出世していく。そんな時に社内留学制度の存在を知る。入社3年目で国立大学に入学した。「入ってみたら地獄みたいに大変だった。年齢は上だが学力は下。定期試験を受けたが全く分からなかった時もあった」。それでも4年間通い続け学位を取った。「視野が広がったし、ライセンスが一つ取れた」。何より自分の成長につながったことがうれしかった。
00年代に入るとターニングポイントになる仕事に携わる。関西地方にあるサッカースタジアムで使う開閉式屋根の設計と施工管理だ。屋根の規模がそれまで経験した中で一番大きかった。関わる工事関係者も多い。絶対に成功させなければというプレッシャーに押しつぶされそうになった。竣工間近の03年冬に行った屋根の動きをチェックする最終テスト。ミリ単位の誤差でも納得がいかず、夜中まで作業を続けた。
「完璧の一つ手前の仕事をすると、必ず後で不具合が起こる。遠慮せずにこだわりを持つことを心に置いて作業していた」と当時の心境を打ち明ける。完成から十数年たっても故障はない。高品質の屋根は海外からも注目され、香港のスタジアムにも導入される予定だ。
実は一度会社を辞めようと考えたことがある。00年代後半、所属する事業部の業績が低迷し存続が危ぶまれる事態に陥った。だが上司の説得もあり退職を思いとどまった。「人と仕事に恵まれた」。岡村さんはこれまでの会社員人生をそう振り返る。40代も半ばになり管理職としての役割が多くなってきた。
「世代交代を考える年齢になってきたのかな」と笑う。「趣味の釣りがゆっくりできるようになりたい」とこぼすが、「今まで無かったものを造りたい」と新たなチャレンジへの意欲もある。ゆっくりするのはもう少し先になりそうだ。
【やっぱり!マイユニホーム!!】日本道路「サステナブルに使いやすさを追求」
日本道路が31年ぶりにユニホームをリニューアルした。新ユニホームは鮮やかな色合いのブルーを採用したジャケットが特徴。社員の意見を積極的に取り入れデザイン変更を重ねたり、専門メーカーの知見を応用したりなど、着心地の良さや機能をとことん追求した。素材に植物由来の繊維を採用し「サステナブル社会への貢献」にも気を配っている。
刷新したのは作業服、防寒服、ヘルメット。防寒服は薄いながらも保温性に優れ、冬季の屋外作業で寒さから社員を守る。ヘルメットは上部に設けた三つの通気孔で蒸れを防止。上着とパンツの両方に反射材を取り付け夜間の視認性を高めることで、暗い場所や夜間の作業で安全確保につなげる。
企画と製作は総合スポーツ用品メーカーのアシックスジャパンが担当。スポーツウエアで蓄積したノウハウを応用し動きやすさや着心地の良さをユニホームに落とし込んだ。生地は東レが開発した素材。原料にサトウキビの廃糖蜜を含む植物由来のポリエステル繊維を採用している。
1日から着用を開始した。まだまだ日は浅いが「パンツの伸縮性が高いので動きやすく、シャツも速乾性があるので夏場の作業が快適」と社員からの評判は上々だ。
【駆け出しのころ】ガイアート取締役執行役員常務営業統括部長・深澤直樹氏
高校までは建築士に憧れていましたが、大学で土木工学の偉大さを知りました。就職先はゼネコンも考えましたが、指導教授の勧めもあり熊谷道路(現ガイアート)に入社しました。
研修後、同期4人が北海道支店に配属されました。私が唯一の道内出身者だったこともあり、当時の支店長から最北の猿払作業所勤務を命じられました。道内でも厳しい気象の地域で、ストーブを使わない日は年に数日ほど。夜は明かりがなくなり一面漆黒の世界を見て、この先やっていけるだろうかと不安になったのを覚えています。
最初は合材工場の担当となり、品質管理などを任されました。小さいころから好奇心旺盛だったので、とにかく聞いて仕事を覚えました。所長や先輩たちは厳しい面もありましたが、私の問いに丁寧に答えてくれました。仕事への姿勢と熱意、使命と責任感を学び技術者として根底の部分が養われました。
4年目からは現場代理人として国関係の工事を中心に回りました。オホーツク海に面する道北エリアは気象的に過酷な環境で、現場は常に天候との戦いでした。6年目に担当した日本最北端の観光名所、宗谷岬での舗装改築工事はまさに戦いで、今も忘れることができません。
完成間近の初冬、下層路盤の仕上げを行い翌日に上層路盤(AS安定処理)の作業を予定していました。しかし大寒波が襲来し翌日の天気予報が氷点下10度に急変。当初の計画通りに施工した場合、翌年には凍結融解による不等沈下で舗装体が破壊されると想像できました。
夜を徹して上層路盤まで施工し構造体の品質を確保したいと考え、発注者の了承も得ました。現場担当の社員や作業員は突然の昼夜連続の作業になりましたが、より良いものづくりへの思いに納得してくれました。
夜間作業の前に現場近くの食堂にみんなを集めて空腹を満たし、英気を養いました。次第に激しさが増す暴風雨の中、夜通し舗装工事を行い、無事終了し作業所に戻ったのは早朝の午前5時。激務を終えた安堵(あんど)感から眠りに落ち、数時間後に目を覚ました時には、窓の外は猛吹雪で別世界に変わっていました。前日の判断に間違いはなかった…。ほっと胸をなで下ろしました。
自分一人では絶対にできない困難な工事でも、仲間の支えがあれば成し遂げられます。施工から30年たっても路面状態は健全。あの時の決断と頑張りが長期の品質確保につながりました。今も家族で宗谷岬に立ち寄るたびに当時を思い出します。
「社は人財なり」をモットーに社員の人間力を高めたい。若い人たちには夢と希望、創造性と勇気を持って行動し、自己成長につなげてほしいと思います。
7年前、家族と立ち寄った宗谷岬での一枚(中央が本人) |
(ふかざわ・なおき)1984年北見工業大学工学部開発工学科卒、熊谷道路入社。工事統括部長、執行役員東北支店長、執行役員常務工事・製品・技術担当を経て2019年4月から現職。北海道出身、59歳。
2020年9月11日金曜日
回転窓/ホテルの進路
【複合アリーナとして2024年春復活へ】横浜文化体育館、58年の歴史に幕
6日に閉館した現在の文体。50年以上にわたって親しまれた |
「ハマの文体(ぶんたい)」の愛称で長年市民から親しまれた横浜文化体育館(横浜市中区不老町2の7)が6日に閉館し、58年の歴史に幕を下ろした。1964年の東京五輪バレーボール競技やプロボクシング世界タイトルマッチなど数々のビッグイベントの会場になり、地域スポーツ大会などにも対応する使い勝手の良い施設だった。解体後はアリーナやホテルなどの集客施設を併設する複合スポーツ施設に生まれ変わる。新施設は2024年4月のオープンを予定している。
文体は1962年5月、横浜港開港100年の記念事業の一環として落成した。実業家で衆院議員や横浜市長も務め、「市民スポーツの父」と呼ばれた平沼亮三(1879~1959年)の功績をたたえ、平沼記念レストハウスが併設されている。設計は久米建築事務所(現久米設計)、施工者は大林組。
施設はRC造3階建て。本館は40メートル×48メートル、広さ1920平方メートル、高さ13メートル。観客席は2階1723席、3階504席(アリーナを含めると約5000席)の規模。併設する平沼記念レストハウスには特別会議室、1~4号会議室などを備えていた。JR京浜東北根岸線関内駅南口からも近く、周辺には横浜スタジアム、元町・中華街、伊勢佐木町などの集客スポットも多い。施設は市が所有し、横浜市スポーツ協会・ミズノ共同事業体が運営・管理を担当していた。
開館当時は最新鋭の設備と最大級の広さに加え、舞台を備える特徴的な体育館として全国から注目を集めたという。
昭和の雰囲気を漂わせるたたずまいにはファンも多く、存続を求める声もあったが、老朽化が進んだことや横浜市に武道専用のスポーツ施設がなかったこと、市庁舎移転に伴う関内・関外地区の活性化が急務となったことなどの複合的要因から、再整備の計画が浮上した。
再整備では文体の敷地(面積1万1014平方メートル)と隣接する旧横浜総合高校跡地(中区翁町2の9の10、面積8280平方メートル)の2カ所の市有地を使い、メインとサブの二つのアリーナを備えた体育施設をBTO(建設・移管・運営)方式のPFIで整備・運営する。併せて民間収益施設の整備・運営事業を民間事業者の独立採算で実施する。
事業者選定では2017年8月、一般競争入札(WTO対象、総合評価方式)でフジタら10者が出資する特別目的会社(SPC)のYOKOHAMA文体が落札している。落札金額は313億3000万円(税込み)。代表企業はフジタ。構成員は電通、梓設計、大成建設、馬淵建設、渡辺組、川本工業、横浜市体育協会、日本管財、スターツコーポレーション。協力会社としてアーキボックス、ハリマビステム、電通東日本、テレビ神奈川、神奈川新聞社、横浜エフエム放送、ディー・エヌ・エー、横浜アリーナ。その他企業として日本海員掖済会が参画する。スターツコーポレーションはホテル、飲食店などを整備運営、日本海員掖済会は病院を整備・運営する。
文体再整備は関内周辺地区街づくりのリーディングプロジェクトに位置付けられている。計画によると文体敷地に建設するメインアリーナはRC一部S造3階建て延べ1万5514平方メートル。民間収益施設はS造7階建て延べ4158平方メートルの規模でホテル、飲食店、店舗、駐車場が入る。10月にも解体に着手し、24年4月の供用開始を予定している。
新施設の完成イメージ (提供:梓設計・アーキボックス・大成建設設計共同企業体) |
先行するサブアリーナは市の公共施設で初めて本格的な武道場を備えた施設「横浜武道館」として7月24日に完成・オープンを迎えている。規模はRC一部S・SRC造4階建て延べ1万4981平方メートル。1階が武道場・多目的室、2階はアリーナ、3階が本部室でラウンジを4階に配置している。観覧席数はアリーナ約3000席、武道場約500席。サブアリーナの民間収益施設はS造7階建て延べ2577平方メートルの病院で、現在建設中。
関内周辺地区では旧市庁舎街区で三井不動産を代表に8社で構成する企業コンソーシアム「KANNAI8」が、地下1階地上34階塔屋2階建てのタワー棟と2階建てのライブ・ビューイング・アリーナ棟で構成する、延べ約13万1000平方メートルの複合施設の建設を計画。25年内の供用開始を目指す。旧市庁舎街区に隣接する「関内駅前港町地区」では三菱地所を代表とする5社グループが31階建て延べ約8・9万平方メートルの複合ビルの建設を計画、こちらは29年度の竣工を目指している。
先行する文体再整備プロジェクトが引っ張る形で関内駅周辺地区の新たな街づくりが進んでいる。
【大規模開発3件の都市計画素案公表】虎ノ門一丁目東地区は延べ13万㎡規模に
東京都港区の虎ノ門一丁目東地区市街地再開発準備組合が計画するプロジェクトの概要が明らかになった。オフィスや商業など、延べ約13万平方メートルのビルを建てる。年度内にも国家戦略特別区域計画の認定を受け、2021年度をめどに本組合へ移行。22年度の着工、25年度の竣工を見込む。
4日に開かれた内閣府東京圏国家戦略特別区域会議の「東京都都市再生分科会」に都市再生特別地区の都市計画素案が報告された。計画地は虎ノ門4、5、8(区域面積約1・1ヘクタール)。東京メトロの虎ノ門駅に近接する。
建物規模は地下5階地上30階建て延べ12万6000平方メートル。高さは約180メートル。低層部に店舗を配置。ビジネス支援施設やカンファレンス、交流ラウンジなどで構成する「(仮称)虎ノ門イノベーションセンター」も入れ、エリアの国際競争力を強化する。
中高層部はオフィスとなる。電線の地中化や虎ノ門駅へのアクセスを高める地下通路の整備などにも取り組む。準備組合の活動を支援する「事業推進パートナー」は、日本土地建物、都市再生機構、住友不動産が務める。
都市再生分科会では同地区に加え、「大手町地区(D-1街区)」と「新宿駅西口地区」の都市再生特別地区で都市計画素案も報告された。
大手町地区(D-1街区)は、千代田、中央両区にまたがる約3・5ヘクタールの区域。三菱地所が個人施行の再開発「東京駅前常盤橋プロジェクト」として、事業を推進している。建設する計4棟のうち、最大規模のB棟の約5・4万平方メートルの増床などに伴い、都が16年4月に都市計画の変更決定した都市再生特別地区を再変更する。変更素案によると、B棟は地下4階地上63階建て延べ54万4000平方メートル。用途は従前の計画にある事務所、店舗、駐車場に加え、高層部に入る国際級のホテルと、MICE(国際的なイベント)の開催を想定したホールを追加した。
高さは約390メートルのまま変更しない。呉服橋交差点につながる地下通路、首都高速道路日本橋区間の地下化を見据えた川沿いの景観なども整備する。23年度の着工、27年度の竣工を予定する。
新宿駅西口地区(新宿区、区域面積約1・6ヘクタール)は、小田急電鉄と東京メトロが小田急百貨店などの建て替えを計画している。建て替え後の規模は地下5階地上48階建て延べ28万1700平方メートル、高さ260メートル。商業や事務所、ビジネス創出機能などを設ける。都の土地区画整理事業などに合わせ、重層的な歩行者ネットワーク、交流を生む滞留空間といった基盤整備を進める。22年度に着工し、29年度の完成を目指す。設計は日本設計が担当している。
【BIM駆使し航空機展示施設を建設】東急建設、「FLIGHT OF DREAMS」の施工動画公開
「フライト・オブ・ドリームズ」はボーイング787初号機の展示をメインとする複合商業施設として2018年10月に開業。建設中の建物内に巨大な機体をけん引するトーイング作業は全日本空輸、機体を展示用の高さに固定するジャッキアップ作業はボーイング、建設工事を東急建設が担当した。
ポイントとなったのは機体を建物までけん引する際の障害物と、建物内での移動中に機体が接触しない動線を明らかにすること。建物と機体との空間が数十センチで計画された建物は、正確な現状把握とわずかな誤差も許されない施工計画が求められた。これらの課題を解決するため、BIMを活用した。
3Dスキャナーで計測した現況測量データをBIMモデル化し、バーチャル空間で巨大な機体のけん引、ジャッキアップと固定作業などで精度の高いシミュレーションを行った。
【累計30道県544地域に】政府、指定棚田地域に5県12地域を追加
石垣が美しい福島の棚田 |
指定条件は20分の1以上の傾斜を持つ棚田が1ha以上ある地域。都道府県の申請に基づき、総務、文部科学、農林水産、国土交通、環境5省が棚田地域振興法に基づいて指定し公示した。
今回の追加により、指定地域は累計30道県544地域になった。山や谷あいの傾斜地に設けた棚田は、農産物の供給だけでなく国土や水源の保全、良好な景観の形成や伝統文化の継承など多面的な機能を持っている。ただ、地形的な条件で保全にコストがかかり、農業の担い手の不足も相まって荒廃の危機に直面している。そのため、政府が棚田を核とした地域の振興を支援している。今回指定された地域があるは△福島△長野△愛知△岡山△香川ーの5県。
2020年9月9日水曜日
【回転窓】SI単位
【職人さん、お待ちしてます】ジョイフル本田、千葉県船橋市にプロショップ2号店
ジョイフル本田は、工具や金物、作業服などを扱う職人向けのプロショップ「本田屋」の2号店として「船橋夏見台店」を千葉県船橋市に出す。建設業の職人をターゲットに工具、作業服の品ぞろえに力を入れる。専門商品など2・5万品以上をそろえる。10日に開業する。
所在地は県道288号線沿いの夏見台5の12の25。1階は店舗、2階が事務所のS造2階建て、売り場面積は753平方メートル。建物を取得し改装した。工具は電動500品などハイスペックな商品を含めて1万3000品、作業服はブランド服1200品、安全靴200品など3000品を取り扱う。「自分の店」と思ってもらえるよう顧客の意見や要望に配慮する。
本田屋は「職人の店」がコンセプト。ホームセンターの売り場ではニーズに対応しきれないプロの職人に寄り添おうと1号店の「千葉都町店」を2018年3月、千葉市中央区に出した。ユーザーのニーズを踏まえ、扱う商品の幅を広げ大幅に数を増やした。2号店は多店舗展開を視野に入れた仕様で、売り場面積を200~300坪程度とする店舗のベースとして在り方を追求する。居抜き物件を活用した出店を進めるという。
2020年9月8日火曜日
【回転窓】豪雨対策の切り札に
【自然と人工の融合表現】神宮前六丁目地区再開発(東京都渋谷区)、ビル外装デザインを公表
神六再開発(東京都渋谷区、小澤広倫社長)と、権利者・特定事業参加者としてプロジェクトに参画している東急不動産は、東京都渋谷区で計画している再開発事業で整備する再開発ビルの外装・屋上デザインを公表した。
自然と人工が共存する原宿・表参道エリアのイメージをデザインに込めた。外装・屋上デザインは平田晃久建築設計事務所が手掛けた。
外装のコンセプトは「KNIT DESIGN(まちを編む)」。古と新、外と内の融合など未来につなげる街づくりをイメージした。外装のガラスは、周辺の景観を反射して映し出す「umi」エリアと、建物内の店舗などが確認できる「shima」エリアで構成。それぞれが反射で混ざり合い共存する姿を表現した。
「神宮前六丁目地区第1種市街地再開発事業」の計画地は神宮前6の10003085平方メートルの敷地に地下2階地上10階建て延べ1万9330平方メートルのビルを建設する。商業・公共公益施設や鉄道用変電施設、駐車場などの機能を入れる。
11月にも着工し2022年度の竣工を目指す。事業施行認可を受けた19年2月の計画によると総事業費は約180億円。設計・監理は日建設計、清水建設が施工する。
【記者手帖】大きな手帖
【循環のみち下水道賞を受賞】アルビレックス新潟と新潟市、デザインマンホール蓋で広報活動
「下水道の日」の10日から市内で記念イベントを開催。30日までJR新潟駅南口広場など市内2カ所にデザインマンホールを設置するほか、マンホールカードも配布する(無くなり次第終了)。
デザインマンホールは昨年の新潟開港150周年記念事業の一環として、JR新潟駅前などに期間限定で設置した。開港をイメージしたデザインで、追い風を受けて航海する船の帆にはアルビレックス新潟のエンブレムを描いた。人感センサーにより、人がマンホールに近づくと勝利に向けた選手のメッセージが鳴り響く仕掛けで、日本初の公道上の「しゃべるマンホール」として注目された。
国交省の循環のみち下水道賞は、下水道を活用した健全な水循環や資源・エネルギー循環の創出で優れた取り組みを表彰している。
【凛】ウィルオブ・コンストラクション営業推進部・中山春来さん
建設技術者を中心にした人材派遣会社に入社し2年目。営業担当として、とにかく深く考え一度決めたら迅速に動くことを心掛けている。あらゆる職種に通じるが、実践できる人は少ない。
入社後に担当したのは求職中の技能者と面談し、顧客である建設会社の現場に派遣する仕事だった。
男性が多い建設業界。営業活動では「女性じゃ話にならない。男性の人いない?」など心無い言葉を何度も投げ掛けられ、性別の壁を感じた。
サポートする技能者はこちらの話に耳を傾けてくれない。顧客の信頼もなかなか得られない。どうすればいいのか困り果て、考え抜いた末にギャップを武器にする方法を思いつく。「男性よりも建設業界のことを勉強し、動き回れば良い印象が広がるはず」。分からないことがあればとにかく「職人さんや顧客にたくさん質問した」という。
単身赴任者には会社が生活用品などを支給している。通常は郵送だが、自分の手で赴任先まで届けた。今では当初担当替えを要求した人から「中山さんの方が俺をよく分かっている」と言われるまでになった。
入社するまで建設とは無縁だった。「大きな金額が動く業界に魅力を感じた」ことから、グループの中で建設業界への人材派遣に特化した会社への配属を希望した。「女性初の管理職になる」のが今の目標だ。
(なかやま・はるき)
【中堅世代】それぞれの建設業・265
地盤を理解し把握するには技術の研さんが欠かせない |
◇対話が成長の原動力に◇
「あらゆる構造物は地盤と接している。地質の状態を把握しなくては質の高いインフラは生まれない」。地質調査会社に勤務する川崎隆さん(仮称)は、ある地方都市で発生した大規模な陥没事故を教訓に、目に見えない地質リスクの可視化が建築物や構造物の品質には欠かせないと部下に説く。地球温暖化の影響でほぼ毎年、日本列島を襲う局地豪雨や台風。相次ぎ発生する土砂災害を少しでも減らそうと地質調査に奔走する。
ものづくりに没頭していた少年時代。学生のころは理数科目が得意だった。当時は珍しい「海洋工学」がメインの学部がある地元の国立大学に進学。ゼミを担当した指導教授と一緒になって、海洋資源の発掘調査にのめり込んだ。就職活動を迎えた時期に知人から地質調査会社を紹介された。当時は就職氷河期。「これも何かの縁」と思い現在の会社に就職した。
入社後に配属されたのは関東一円を管轄する埼玉県内の支店だった。主な仕事は団地建て替えに伴う地盤調査や災害時に氾濫する可能性がある河川を対象とした堤防の補強対策。多忙な日々は「文字通り自分を鍛え上げるための修行」と若手時代を振り返る。
支店がある埼玉と東京の本社は距離も近く、トップレベルの技術力を誇る先輩社員とも盛んに交流できた。休日は河原でバーベキューを楽しんだり、酒席を共にしたりしながら自身の技術を磨いた。SNS(インターネット交流サイト)が普及していなかった当時、先輩社員との会話から技術とは何かを学んだ。この時の経験が成長の原動力になった。
入社3年目に差し掛かったころ、局地豪雨が影響して破堤してしまった河川の復旧作業を担当した。人材不足も重なり、隣県を管轄していた支店の社員と協力し、寝食を忘れて決壊の原因究明に当たった。その結果、想定を上回る河川水量に堤防が耐えられなかったということが分かった。
地方支店に勤務した後、昨年、本社に戻り部長として技術部を率いる立場になった。働き方改革の一環で会社にもリモートワークが定着し始めていた。現場を遠隔管理するというやり方に、当初は戸惑いを覚えていた。時を同じくして世界を震え上がらせた新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が発生した。
建設業界にもICT(情報通信技術)の波が押し寄せている。現場の生産効率がアップしたり、ワーク・ライフ・バランス(仕事と家庭の調和)の実現が期待されたりする一方、「質をどう確保していくか」が問われる仕事。地盤に接していない構造物は存在しない。より良質なインフラを構築するには、地質調査会社の存在は欠かせない。
技術資料を読みあさるだけでなく、コミュニケーションによって人間は成長する。「地質のプロになれ」と部下にげきを飛ばしつつ、自身が成長するための道筋を今も模索している。
【やっぱり!マイ・ユニホーム!!】田中組(札幌市中央区)「高機能素材で保温性と機能性を追求」
同社の制服を長年手掛けている札幌白衣と何度も打ち合わせ。実際に現場で働く社員からのアンケートを基に、社内イメージアップ検討委員会で議論し決定した。
現場で働く社員が温かく動きやすいようにと高機能素材を使用。防寒服に使用する光電子繊維は、体温を吸収して遠赤外線を効果的に体に放射することで快適な温度を保ち、ブルゾンより温かく、コートよりも動きやすい形に仕上がった。
レインウエアは空気や水蒸気の透過を防ぎ、薄くても保温性が高いディアプレックス素材を使用。春先や秋口、雨天時を想定した全天候型ウエアとして活用しており「アウトドアにも活用できそうだ」とデザインの評価は高い。
総務部の佐坂真寿美次長は「現場での着用はもちろん、会社で参加している数々のイベントでも全員で着用し、一目で『田中組の人だ』と思われるようにしたい」と話す。
【駆け出しのころ】大林組執行役員デジタル推進室長兼iPDセンター所長・岡野英一郎氏
学生時代、世界を股に掛ける大型案件のプロジェクトマネジャーに憧れを抱きました。新設大学の1期生だったので社会人の先輩がいない中での入社となりましたが、自分で苦労を背負うところにチャンスがあるのではと思いました。
入社後、建築見積部門の積算課に配属され、数カ月が過ぎたころに顧客の工場で爆発事故が発生。顧客支援の事故対応のため、私も含めて全国から人が集められました。近隣の住宅街にも被害が及んだことから、家屋の被害調査や補修工事などに当たりました。最後まで残って事故対応に取り組み、被害者の方々に怒られてつらいなとも感じましたが、その時に辛抱した経験はその後に役立っています。
入社2年目に担当した岸和田文化センターの建設工事では、いろいろなことを学びました。とにかく早く現場のことを覚えたい一心で、上司や先輩たちから業務を任され、学びの場を与えてもらっていることに当時は幸せを感じていました。
学んだすべてが技術者としての基礎になっています。所長には「考えて仕事をしているのか」と問われ、水切りの左官一つにしても作業の順序に意味があり、水が逆戻りしないための塗り方があると諭されました。それ以降、ただやるのではなく、そこに込められた一つ一つの意味を考えるようになりました。
品川インターシティーや舞浜のイクスピアリ、海外の大型案件など思い出深い現場は多々あります。ドバイメトロの駅舎工事のほか、最後に所長を任されたシンガポールの複合施設DUOの建設工事などは、工期通りに終わるんだろうかと不安になりましたが、工事を進める上でいろいろなことに恵まれ、やりきることができました。
一番恵まれたのは人です。ドバイではさまざまな国の人材をリクルートし、200~300人ほど採用。それ以上の人数と面談し、組織づくりの大切さを感じました。シンガポールの工事も大変でしたが、面談しながら相思相愛の人材を採用したことが、現場を円滑に進める要因の一つになったと思います。
何事も前に進めるためのマイルストーンが重要です。自分の技術者人生も一つ一つステップを踏みながら経験を積めたことは幸せでした。若い人たちも目標をしっかり持ち、自分の仕事の管理は自分で責任を持って取り組んでほしい。
コロナ禍でニューノーマルと叫ばれていますが、IT会社などの言葉に踊らされず、変化の流れを見定める必要があります。デジタル化による業務変革も、大きな夢物語の前に、今のやり方に根差した進歩のマイルストーンを一つ一つクリアしていくことが大切です。
スペイン留学後、34歳の時。 設立と運営に携わった大林ヨーロッパ・マドリッド支店で(左端が本人) |
(おかの・えいいちろう)1982年豊橋技術科学大学大学院工学研究科修士課程修了、大林組入社。建築本部BIM推進室部長や同iPDセンター所長(現任)などを経て2020年4月から現職。愛知県出身、62歳。