2020年9月17日木曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・266

休日は子どものころから続けている釣りを楽しむ

 ◇納得するまで仕事にこだわる◇

  「すみません、もう一回やらせてください」。トランシーバーから岡村誠一(仮名)さんの申し訳なさそうな声が響いた。関西地方のサッカースタジアムに取り付けた可動式屋根の最終テスト。多くの関係者が終わるのを待っていたが、設計担当として納得するまでテストを繰り返した。中途半端な仕事はしたくなかった。2003年冬の夜、寒風吹きすさぶ屋根付近に登っての作業。眼下には夜景で有名な地方都市のきらびやかな姿が浮かんでいた。街のにぎわいが伝わってくるようだった。

 山形県出身。地元の高等専門学校で電気電子工学を学んだ。「建築的要素があって何より動くのが面白い」と、1995年に開閉式屋根の施工を手掛ける現在の勤務先に就職した。初めて開閉屋根の設計を手掛けたのは小学校や幼稚園、プールなどが入る東京都内の複合教育施設だった。

 現場に入って2日目。先輩からいきなり「悪いがあとは1人でやってくれ」と仕事を任された。先輩は別の大型案件を抱えていた。「現場で何を聞かれても分からない。『会社に持ち帰ります』としか言えなかった」。

 社会に出て働くうちに学歴の差を感じることが多くなった。高学歴の人がどんどん出世していく。そんな時に社内留学制度の存在を知る。入社3年目で国立大学に入学した。「入ってみたら地獄みたいに大変だった。年齢は上だが学力は下。定期試験を受けたが全く分からなかった時もあった」。それでも4年間通い続け学位を取った。「視野が広がったし、ライセンスが一つ取れた」。何より自分の成長につながったことがうれしかった。

 00年代に入るとターニングポイントになる仕事に携わる。関西地方にあるサッカースタジアムで使う開閉式屋根の設計と施工管理だ。屋根の規模がそれまで経験した中で一番大きかった。関わる工事関係者も多い。絶対に成功させなければというプレッシャーに押しつぶされそうになった。竣工間近の03年冬に行った屋根の動きをチェックする最終テスト。ミリ単位の誤差でも納得がいかず、夜中まで作業を続けた。

 「完璧の一つ手前の仕事をすると、必ず後で不具合が起こる。遠慮せずにこだわりを持つことを心に置いて作業していた」と当時の心境を打ち明ける。完成から十数年たっても故障はない。高品質の屋根は海外からも注目され、香港のスタジアムにも導入される予定だ。

 実は一度会社を辞めようと考えたことがある。00年代後半、所属する事業部の業績が低迷し存続が危ぶまれる事態に陥った。だが上司の説得もあり退職を思いとどまった。「人と仕事に恵まれた」。岡村さんはこれまでの会社員人生をそう振り返る。40代も半ばになり管理職としての役割が多くなってきた。

 「世代交代を考える年齢になってきたのかな」と笑う。「趣味の釣りがゆっくりできるようになりたい」とこぼすが、「今まで無かったものを造りたい」と新たなチャレンジへの意欲もある。ゆっくりするのはもう少し先になりそうだ。

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