2020年12月7日月曜日

【駆け出しのころ】鹿島道路代表取締役専務執行役員生産技術本部長・里見辰男氏

  ◇気付ける感性に磨きを◇

 大学時代は長い休みに入ると、建築業を営む実家に戻って現場作業を手伝っていました。セメントをミキサーで練るなど、実地でいろいろなことを学ぶことができました。

 就職活動はオイルショックで大変な時期でしたが、縁あって鹿島道路に入社しました。配属先の千葉工事事務所での最初の担当は国道の維持管理業務。約50キロの対象区間で路面の穴埋めや路肩の草刈り、側溝の泥かき、事故で散乱した車両の破片拾いなど、道路の維持管理に関わることを何でもやりました。

 同期の社員が道路の新設工事などの華々しい現場で活躍しているのに比べて、維持管理は地味な仕事だったため、他の現場に早く移りたいと内心思っていました。土日は巡回のパトロールもあり、ほとんど休む暇もなかったですが、地域に欠かせない道路を1年守り続けたという達成感はありました。

 管理の仕事では技術的に特別な指導はありませんでしたが、「作業員には敬語を使うように」と先輩に叱られました。気付かずに横柄な態度が出ていたのかもしれません。作業員にしっかり働いてもらえるように段取りしないと利益に跳ね返ることを、言葉遣いの点から注意されました。

 2年目は開港前の成田空港のエプロン舗装の現場に移りましたが、過激派が管制塔を占拠する事件が起き、工事が止まってしまいました。すぐに工事が再開されないことから、千葉県市原市の姉ケ崎工事事務所に異動。結局、空港の現場には戻らず、同事務所でコンビナート関係の民間土木の現場を4年ほど回りました。

 タンクの盛り土や底盤のアスファルト舗装など、高い精度が求められる仕事でいろいろと勉強になりました。ただ、道路整備をメインとする会社ですから、官庁工事の現場代理人をやるのがステータスでもあり、いつまでも民間工事を担当している状況に複雑な思いが正直ありました。

 その後、新潟営業所に異動となり、建設省(現国土交通省)発注の幹線道路の修繕工事で初めて現場代理人を任されました。前年に自社で行った同じ現場の工事書類などを参考に、四苦八苦しながら取り組んだのを覚えています。

 30代前半で現場代理人として初めて新設工事を担当し、優良工事表彰を受けた4車線化の舗装工事は思い出深い現場の一つです。新設工事を自分で描いたストーリー通りに終えられるのが一番の喜びであり、楽しさでもあります。

 発注者や作業員など、工事関係者との良好なコミュニケーションが現場技術者には不可欠。さまざまな物事にいち早く気付ける感性を磨くことも重要です。若手には経験の中から気付きを積み重ね、成長してもらいたいと思います。

入社16年目、家族と出かけた新潟・蓮華温泉に向かう木道で

 (さとみ・たつお)1977年日本大学工学部土木工学科卒、鹿島道路入社。北陸支店長、執行役員関東支店長、取締役専務執行役員営業本部長などを経て2020年4月から現職。埼玉県出身、66歳。

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