◇逃げずに正面から一生懸命◇
子供のころは舗装されていない道路が多く、近くに整備される高速道路の計画などを見聞きする中で土木に興味を抱くようになりました。就職に当たり、担当の先生からの勧めがあったほか、実家近くの先輩が不動建設(現不動テトラ)に入って海外で仕事をしていたことも志望動機の一つです。
入社後、地盤改良の担当部門に配属され、最初の勤務地は宮城県気仙沼市の岸壁工事で海上地盤改良の現場。1カ月ほどの短い期間だったので、現場を見ながら施工管理という仕事がどういうものかを学びました。小さな船で測量した時は湾内とはいえかなり揺れ、船酔いがなかなか治まらず、先輩から「海上の仕事には向いていないな」と言われたのを覚えています。
続いて福島県いわき市のニュータウンに整備する調整池の基礎工事の現場に移り、サンドコンパクションパイル工法による地盤改良に携わりました。機械の名称や仕組みなど、施工を円滑に進めるために必要なことを一から学びました。その年は雨が多く、工程も遅れがち。昼は泥にまみれて現場に立ち、夜は日中のデータ整理に追われ、休日出勤も多く、正直めげることもありました。
大変な現場でしたが、当時の現場所長が非常に仕事熱心な方で、公私ともによく面倒を見てもらいました。「一生懸命やれ」「逃げるな」とハッパを掛けられ、頑張ることができました。
入社から約3年間は東北6県と新潟を含めて十数カ所の地盤改良の現場を回りました。当時最先端のサンドコンパクションの機械を導入した新潟の火力発電所は思い出深い現場の一つ。機械や設計など、さまざまな分野の技術陣が現場に入り、3年目の若手ながら技術者として大変刺激を受けたのを覚えています。それまでは現場運営の中で仕事を覚えてきましたが、技術的なことをしっかり学ばなければ、この先やっていけないと実感させられました。
入社4年目からは東京本店管轄の関東近辺の現場を担当。埼玉県内での大規模な調節池の整備事業では、約5年ほど複数の工区の仕事に携わりました。遮水壁のほか、構造物の整備や土工事、地元調整、関係者との打ち合わせなど、これまでと異なるさまざまな領域での仕事はいい刺激になりました。
現場では思い通りにいかないことが多々あります。苦しくなれば逃げたくなり、消極的になることもありましたが、その時に逃げても後で大変になります。結局は、逃げずに正面から一生懸命やることが一番です。
「終わらない現場はない」という先輩たちの言葉が心に残り、今の自分があります。何事にも興味を持ち、目標を持って取り組めば、同じ仕事でも見える景色が違ってきます。若い人たちにはものづくりへの思いを胸に秘め、より良い経験を重ねてほしいです。
入社11年目、調節池の遮水壁打設完了で会社関係者らと (後列左から2人目が本人) |
(ねぎし・やすあき)1980年桐生工業高校土木科卒、不動建設(現不動テトラ)入社。東京本店北関東支店長、同副本店長を経て2020年4月から現職。群馬県出身、59歳。
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