2021年5月10日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・286

大変な現場もあったが、その経験が今の自分を支えている

 ◇異動を重ねて成長を続ける◇

  中央省庁で働く高橋輝晃さん(仮名)は、公務員生活の半分が地方への単身赴任だった。家族と過ごす時間を十分に取れないのがつらいところだが、「異動を重ねてさまざまな経験を積める。成長を続けられるのがこの仕事の大きな魅力」と前向きにとらえている。

 高橋さんは地元の農業高校で土木を学んだ。志望理由は「英語が苦手だったから」。普通高校よりも英語の授業が少ないだろうと当時は考えていた。今思えば「父親の母校だったため少なからずその影響があったのかもしれない」。卒業後の進路に公務員を選ぶ生徒が多い学校で、同じクラスで自分を含め40人中15人が地元の自治体や省庁の出先機関などに就職した。

 技術職として国の出先事務所に配属された。最初に受け持ったのは「絶対に一人で行ってはいけない」と言われる現場だった。空港用地を確保するための埋め立て事業で、埋め立て前のボーリング調査などを行っていた。ヘドロだらけの場所は埋まってしまうと自力で抜け出せず、万が一に備えて単独行動を禁じられた。地表が乾いているから安全だと思った場所に足を置いたら、ズブズブと沈んでいき身動きができない状態になったことも。「一緒にいた先輩職員に引き上げてもらったが、『もし一人で来ていたら』と思うと肝が冷えた」と話す。

 埋め立て地には空港施設が整備され、工事が終わった後に空港を利用する機会があった。「悪条件の土地でもしっかり地盤改良をすれば立派な施設の土台になる。それを間近で見られるのが土木の面白いところ」だと実感した。

 2年目からは四年制大学の夜学に通い、土木の知識をさらに深めた。普通高校出身者よりも専門知識でアドバンテージはあった。けれども一般教養科目を履修する必要があったため、苦手な英語に再び向き合うことになった。

 仕事と勉強の両立に悪戦苦闘の日々だったが、夕方になると職場の先輩や同僚が快く大学に送り出してくれた。周りの人に支えられ1年余計にかかったがなんとか卒業できた。

 公務員生活は異動の繰り返し。東北で東日本大震災の復旧事業にも携わった。被災自治体やコンサルタント、建設会社などさまざまな人と協力して仕事をする中で、「復旧という同じ目標に向かって同じ時を過ごし、強い仲間意識が芽生えた」。当時の仲間とは今も交流が続いている。

 異動のたびに担当する仕事の内容はもちろん、住む場所も変わる。現在は東京勤務。家族と離れて官舎に住んでいる。単身赴任が多く妻や息子に寂しい思いをさせた。息子はこの春大学に進学した。土木を専攻し将来は建設会社で働きたいという。

 なぜ土木なのか理由をまだ聞けていない。ただ「もしかしたら自分の影響かもしれない」と淡い期待を抱いている。今度息子に会えた時、じっくり話を聞いてみようと思う。

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