2021年5月24日月曜日

【駆け出しのころ】若築建設代表取締役専務執行役員建設事業部門長・石井一己氏

  ◇気持ちの強さが不可欠◇

 実家が工務店を営んでいたこともあり、自然と建設関係に進もうと考えました。大学では土木を専攻し、研究室の教授に就職先を相談した際、若築建設の当時の土木部長を紹介されたのが縁となりました。

 最初の配属先は、秋田県能代市の石炭火力発電所関連の護岸工事。何もない浜辺から500~600メートル沖合に堤体を構築していく現場でした。海軍好きで有名な現場所長は新人教育に「海軍初級士官心得」を取り入れ、規律を重んじました。一番言われたのは「率先垂範の実を示せ」。最初の1週間は抜粋された心得を読み込んでいました。

 連絡・報告にはとても厳しく、現場では無線機を持たされました。刻々と状況が変化する海上作業ではずるずると時間をかけず、決めた通りにものごとを進めることが何より重要だと学びました。苦労も多かったですが、日本海側の現場で見る夕日はとてもきれいで1日の疲れが癒やされます。自然は時に猛威を振るいますが、自然を相手にする仕事の面白みも新人ながら感じました。

 自然の怖さは1年目から感じていましたが、翌年に日本海中部地震が発生し、現場には津波も来ました。当社担当工区は完成断面に近いところまで工事が進んでいたので大きな被害はなかったのですが、隣の工区は犠牲者も出ました。

 男鹿半島の付け根の船川港付近に整備される石油備蓄基地を守るため、2年目に担当した防波堤の建設工事は思い出深い現場の一つ。当社のフラッグシップのポンプ浚渫船「若築丸」とその船員の方々と一緒に仕事ができたのは誇らしかったです。若造だった私の意見はなかなか聞いてもらえませんでしたが、船長の考えより効率のいい作業計画を提案してから対応が変わったのを覚えています。

 秋田での勤務が7年目に入った時に新天地への異動を希望し、富山の新湊の現場に移りました。航路を拡幅・延長する工事。富山湾特有の「寄り周り波」による被害を恐れ、警報が出たら無理せず作業船を引き上げさせました。それほど海がしけず、空振りが続くと所長に叱られましたが、無理して船を傷めることを考えたら用心に越したことはないと意見を通しました。

 厳しい工程の中、衛星利用測位システム(GPS)などがない時代に計画通り、精度よく浚渫できたと自信がありました。完工後に発注者と海上保安庁が共同で実施した水路測量の際、海上保安庁の方に「プロの仕事ですね」と言われたのは本当にうれしかったです。

 何事にも一生懸命向かっていけば光が差します。自然が相手のものづくりでは、気持ちの強さが欠かせません。若い世代には熱い思いを持って、みんなと一緒に造り上げる喜びを大切にしてもらいたいです。

入社1年目、秋田県能代市の護岸工事の現場で
(前列中央が本人)

 (いしい・かずみ)1982年宮崎大学工学部土木学科卒、若築建設入社。名古屋支店長、東京支店長などを経て2021年4月から現職。新潟県出身、61歳

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