戦後日本の建築界をけん引してきた建築家の内田祥哉(うちだ・よしちか)氏(東京大学名誉教授)が3日に死去した。96歳だった。葬儀は近親者で済ませた。
東大教授として建築構法や建築生産システムの在り方を社会に提示。後進の育成にも力を注いだ。建築家やゼネコンの経営者ら、後に業界で活躍する学生が内田研究室で建築を学んだ。
建築学者で東京帝国大学(現東大)総長を務めた内田祥三(1885~1972年)の次男として1925年に東京で生まれた。
東大で建築を学び、卒業後は逓信省や日本電信電話公社建築部(現NTTファシリティーズ)に勤務。数々の設計作品を世に送り出したした。
70年から東大教授に就任。建築構法計画学の確立と普及、建築生産のオープンシステムに関する研究に取り組み、学問として建築生産と建築学に道筋を付けた。
建物使用者や発注者の要求を満たす設計の解を工学的に導いた。木造建築の再評価にも尽力し、既存の生産組織や伝統技術と現代技術が共存した建築生産システムの在り方を提示。日本建築学会賞大賞などを受賞した。
学術振興にも尽力した。第43代建築学会長(1993、94年)に就任。就任あいさつで内田氏は「建築は学術と技術、芸術の三つの分野の力を借りて空間を総合的に組み立てるものだ。その進歩発達を図るのが学会の目的」と指摘。3万人を超える当時の会員に向け「余裕ある運営組織を目指す」と抱負を語った。
内田氏の訃報を受け、建築関係者が哀悼の意を示した。竹脇出建築学会長は「就任早々、本会の組織・機構を根本から見直す『組織・機構検討委員会答申書-日本建築学会・波濤(はとう)を越えて』をまとめられた。技術報告集や作品選奨の創設、諸外国との協力協定など学会活動の幅を大きく広げられた」と別れを惜しんだ。
内田研究室で薫陶を受けた清水建設代表取締役会長で日本建設業連合会(日建連)会長も務める宮本洋一氏は「内田祥哉先生の突然の訃報に接し、惜別の念を禁じ得ない。内田先生は、建築構法と建築生産の研究を中心に戦後の日本の建築界に多大な貢献をされた。多くの後進を育てられ、内田研究室からは学術界のみならず、実業界にも多数の人材が輩出された。先生の人柄を慕う人も多く、在りし日の元気なお姿がしのばれる。ここに謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りする」と恩師をしのんだ。
同じく内田研究室で学んだ建築家の隈研吾氏は「内田先生は戦後日本の建築の工業化、近代化のリーダーであるが最大の批判者でもあった。建築の規格化、プレハブ化でも世界のトップを走ることができたのは内田先生の力があったから。非人間的な都市をつくることの危険に対しても警鐘を鳴らし続けた」と功績をたたえた。
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