2021年5月17日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・287

マレーシアでの生活と仕事は驚きの連続だった

  ◇異国でもまれた経験が軸に◇

 自分の働き方の軸を固める--。仕事を続ける中でターニングポイントとなる出来事がある。東京都内のゼネコンに勤める山野秀明さん(仮名、45歳)の場合、ターニングポイントは30代の時に2度訪れた。1度目は1級建築士資格に合格した時で、2度目はマレーシアの建設現場に赴任した時。マレーシアの現場では人手不足と職人のスキル不足に悩まされたが、限られた資源の中でやりくりする力はそんな経験の中で磨かれたたまものだ。当時の経験は、後に山野さんが仕事をする上での軸となっている。

 「絵を描くことが好きだった」という山野さんは、図面を描く仕事として自動車業界と建設業界で迷い、建設業を選択。三重県の工業高校を卒業後、上京し現在の会社に建築系技術職として入社した。現場では施工管理の仕事を希望していた。

 マレーシアのプラント関連の建設現場に工事主任として赴任したのは35歳の時。公私ともに初めて訪れたマレーシアは、山野さんの目には印象的な国に映った。人種も、文化も、宗教もさまざまな多国籍国家。国民が当たり前のように複数の言語を話せることには強いカルチャーショックを受けたし、現場に従事する職人の休日が信仰する宗教によって異なることも驚きだった。

 ただ、現場を管理する立場としては驚いてばかりもいられなかった。人手を確保しようと協力会社に呼び掛けても、日本のように義理や人情では来てくれない。納得できないことがあるとさじを投げてしまう業者もいた。何より人手が全く足りていなかった。

 同国で職人が不足していることは事前に把握していた。当時の日本は建設業の人手不足が予想されるも、問題に直面する前の段階。図らずもマレーシアで10年早く壁に当たってしまった形だ。人手が足りないだけではなく、スキルが日本の職人の20%程度しか及ばないことも二重で山野さんを悩ませた。そんな環境でも、工事は遂行しなくてはならない。物事に優先順位を付け、順位の低いものは潔く切り捨てることにした。自然と、限りある資源の中で現場を回すすべを身に付けた。

 マレーシアでの工事を終え、帰国して次の大規模病院の建設現場で初めて所長を任されたのは38歳の時。入社当初からの到達目標としていた一つを果たせたことは、山野さんの中でも大きな区切りとなった。異国の地でもまれたことで度胸が付いたという自負もあり、初めての所長でも戸惑わずに現場を指揮できたと思っている。終わってみれば反省点もあるが、それは次の現場に生かすことができた。

 所長として2現場を手掛けた後、4年前に現場を離れ、本社で建築部門の人材育成に取り組んでいる。入社以来初めてとなる本社勤務だが、20年以上にわたる現場キャリアは、利益を生み出す現場の大切さを教えるいまの仕事に活かされていると感じている。

 現在の目標は若手社員のレベルを上げること。主任や所長となる人材が不足している。新型コロナウイルスの感染拡大で、集合教育が満足にできないことが悩みだ。感染を懸念する受講者の不安も伝わってくる。新しいフィールドでも、与えられた条件の中でどう仕事を進めるか、模索する日々だ。

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