◇一所懸命にやったから今がある◇
入社した40年前は就職難で、本当はゼネコンに行きたかったのですが、採用があまりありませんでした。それでも男らしいイメージのあるダムか海洋土木の仕事ができる会社を受験しました。海洋土木の会社の1次試験を通過し、2次試験に臨む前にケミカルグラウトから合格通知が来ました。新卒採用の厳しい時代でしたので、大学の後輩に迷惑を掛けてはいけないと思い、入社を決めました。
この会社に入れば、ダムの仕事ができると知っていましたので、面接の時からダムをやりたいと言っていました。希望通りに電源開発の奥清津カッサダム(新潟県湯沢町)の現場に赴任しました。標高が1300メートルもあり、5月の連休明けから現場に入り、11月には引き上げてくるような所でした。現場から苗場のスキー場が見下ろせたのを覚えています。
着任した時にはダムの本体が完成していました。水をためる前の追加のカーテングラウチングが4カ所くらいに分かれて進められていました。会社の先輩2人は下の村から通っていましたが、私は作業員さんと現場宿舎に寝泊まりです。もともとダムの現場に憧れていましたので、苦ではありません。仕事終わりに仲間と酒を酌み交わすのも楽しいものでした。
次の現場は、国土交通省の御所ダム(盛岡市)です。われわれの会社が乗り込んだ時は、まだ堤体を盛り立てている段階でした。河床から盛り立てて、グラウトしていくまでの一通りの流れをこの現場で教わりました。
ダムの現場は計5カ所、11年ほどいました。ダムは本体を造ったり、原石山から骨材を採取したり、橋を架けたりなど工種が多岐にわたります。ダム現場を経験すると、土木工事一式を理解できるようになると思います。
先輩というより、発注者と話す機会が多いのもダム工事の特徴です。専門のわれわれが元請と一緒に付いて行って、グラウトの改良状況などを説明する機会がよくありました。
発注者、元請、協力会社の3者が一体となってやらないとうまくいきません。自然と仲間意識が強くなります。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉通り、先輩からは発注者や元請に対する言葉遣いで注意されたことがありました。「発注者と技術論でけんかはしていいが、感情に任せてけんかをしてはいけない」と言われたことも印象に残っています。
無我夢中で一所懸命に仕事に打ち込んできたので、今の自分があります。同じことをやるなら、嫌々やるより前向きにやった方がいいと思います。新入社員や若手には、希望通りの部署や現場に配属されていないかもしれないけれど、与えられた立場の仕事をとことんやってほしいと伝えています。天職だと思うくらい打ち込んだ時に初めて、仕事の良さは分かるものです。
(きくち・たかあき)1978年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部土木工学科卒、ケミカルグラウト入社。技術本部岩盤工事部アンカー工事課長、企画開発室部長、施工本部技術営業部長、取締役西日本支社関西支店長、常務取締役技術営業本部長を経て、18年6月から現職。東京都出身、65歳。
入社4年目。青森県の下湯ダムの現場で同僚と一緒に (後列右端が本人) |
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