◇明日に向かって前進◇
電力分野で土木の仕事をしていた父親の姿を見ていたこともあり、幼いころから土木構造物は身近な存在でした。大学院では橋梁の構造関係を専門に研究し、橋の中で最も好きなのはアーチ橋。当時まだ一般的でなかったコンピューターによる数値解析手法の一つ有限要素法(FEM)も学びました。
就職先はゼネコンと決めており、青木建設(現青木あすなろ建設)に入社。現場勤務では大学、大学院で学んだ橋梁の工事に縁がなく、最初の造成現場を除いてすべてダムの工事を担当しました。
新入社員研修後の勤務地は京都市の洛西地区総合開発の造成現場。約168ヘクタールに及ぶ大規模現場で測量計算、測量、そして墨出しといった一連の作業を繰り返す日々が続き、鶴亀が彫られた墨つぼの使い方は完璧にマスターしました。
真夏の炎天下での測量作業は想像を絶するほど過酷です。喉が乾きどうしても我慢できず、気付いた時には砂ぼこりを防ぐために現場内を走行していた散水車を追いかけ、まいている水を飲んでいました。その話を聞いた先輩は「散水車の水をどこからくみ上げているかを確認した方がいい」と笑っていました。水の出所は造成地にある調節池。恥ずかしさと合わせ、軽率な行動は改めなければと痛感しました。
次の配属先は建設省(現国土交通省)が発注した熊本県内のダム現場。約8年勤務しダム建設のいろはを学びました。着任早々、上司から「資格を取れ」「仕事は自分で努力し、誰かが手伝ってくれるとは思うな」「期限に間に合わない仕事は良い内容でも0点、仕事の期限は絶対厳守」と諭されました。初対面だった上司からの言葉にとても戸惑ったのを覚えています。
経験が乏しい若手だった私は、三つの言葉が意味するところをすぐに理解できませんでした。けれども仕事に取り組む中で重要な礎だと気付くことができました。
初めてのダム現場は分からないことばかり。落ち込む私に先輩たちは時に厳しく、時に優しく指導してくれました。技術だけでなく私生活でもさまざまなアドバイスをもらい、徐々に落ち込む回数も減りました。
当時は目の前のことに必死で分かりませんでしたが、今思えばコミュニケーションが非常に良好な現場でした。地元の方々ともよく交流し、さばいたばかりのぼたん肉をごちそうになることも。レアの肉を食べておなかの調子を崩してしまいましたが、先輩たちから初めての地元対応を褒めてもらったのもいい思い出です。
いつの時代もコミュニケーションを積極的に取り、信頼関係を深めることの大切さは変わりません。今後も若手が落ち込んでいる時「明日に向かって前進」と思える職場づくりにまい進します。
入社1年目、洛西地区総合開発に関連する造成工事の現場事務所で |
(たの・しんいちろう)1988年佐賀大学大学院理工学研究科建設工学専攻修了、青木建設(現青木あすなろ建設)入社。大阪土木本店九州支店長、同副本店長などを経て2016年4月から現職。福岡県出身、58歳。
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