2020年11月2日月曜日

【駆け出しのころ】飛島建設執行役員名古屋支店長・深田純一氏

 ◇必ず目標持ち行動を◇

  就職先に建設業界を選んだのは、大学1年の夏休み、地質調査などを手掛ける建設コンサルタントでアルバイトしたことがきっかけです。文系でしたがゼネコンの仕事にも携わり、現場で働くことが合っていると感じました。大学の先輩が勤める他産業の会社からも内定をいただきましたが、現場の面白さに魅了され飛島建設への入社を決めました。

 英会話学校に3カ月通った後、最初の配属が本社情報システム部です。トンネルやダムの工事を受注し、その現場に所長らと一緒に乗り込む自分の姿をイメージしていたので配属先を聞いた時は正直驚きました。上司から「未来の飛島建設を背負う部署」と言われたものの電算処理の仕事は好きになれませんでした。

 そんな時、内定を断った会社の先輩から「今の仕事が嫌なら、うちの会社をもう一度受けたらどうか」と誘いの言葉がありました。働き始めて1年にも満たない時のことです。話は進んで役員面接を受けることになり、職場の上司に「会社を辞めると思います」と話しました。しかし、意気込んで臨んだ面接で役員から「せっかく飛島建設に入社したのだからあと1、2年頑張り、それでも来たかったら来なさい」という思いもよらない言葉を掛けられました。面接後、経緯を上司に報告すると「じゃあこのまま会社にいたらいいよ」と笑い飛ばしてくれました。

 自分の軽率な行動で周囲の人を巻き込み迷惑もかけてしまい、本当に反省しました。相変わらずコンピューターは嫌いでしたが仲間や先輩、上司には恵まれました。その時から冗談でも「辞める」という言葉は使わないようにしています。

 転機が訪れたのは名古屋支店総務部の時です。現場に出たいと訴え続けていたら、当時の支店長に呼ばれ「現場の事務より営業に行きなさい」と言われました。それから20年以上、営業の仕事に携わっています。

 その支店長は副社長を務めて勇退された後、顧問として名古屋支店に駐在することになりました。久しぶりに顔を合わせると「今はどんな工事の営業をしているのか」と尋ねられました。鋭意、営業中だったシールドトンネル工事の話をしたところ「お前もシールド工事の営業をするようになったか。受注が楽しみだな」と目を細めて話して下さいました。工事は無事受注できましたが、直前に顧問は出張先で急逝されました。墓前に受注を報告したことを鮮明に覚えています。

 営業の仕事は数字で評価されます。自分で一生懸命やったと思っても、数字が残らなければ言い訳できない厳しさがあります。けれども大変面白い仕事です。後輩にはどんな部署、どんな仕事でも必ず目標を持ち、成果を出せているか行動が正しいか常に考えながら、業務に取り組んでほしいと思います。

入社8年目、会社のクリスマス会での一枚

 (ふかだ・じゅんいち)1986年中央大学経済学部国際経済学科卒、飛島建設入社。名古屋支店土木部営業グループ部長、本社土木事業本部土木営業統括部部長などを経て2020年4月から現職。福岡県出身、58歳。

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