2020年10月12日月曜日

【駆け出しのころ】弘電社代表取締役専務執行役員内線事業本部長・山田勝氏

  ◇楽しみながらチャレンジ◇

 大学の就職案内で見かけた弘電社のパンフレットを手に取ると、海外の受変電施設のプラント工事などが紹介されていました。海外の仕事に非常に興味があったので、就職先として関心を持ったのが入社のきっかけです。

 入社後の配属先は大阪支店。最初は親会社である三菱電機の神戸製作所の営繕関係の仕事に従事し、その後は公共・民間の新築案件を担当しました。当時はOJTが中心。すぐに現場に出て、上司から仕事の中でいろいろ指導を受けました。

 まずは現場の清掃に始まり、資材や工具などの名前や仕事の流れを覚えるのにも四苦八苦。材料のことを覚えたいので上司に頼んで倉庫の在庫管理を数日任せてもらったり、職人に交じって一緒に作業をさせてもらったりしました。施工図の作成に当たり、実際の現場の感覚がなく、出来上がりを想像できない中で図面を描くことが一番難しかったです。経験に基づく知識の大切さを教わりました。

 5年ほど大阪支店で勤務した後、中国営業所(現中国支店)に異動しました。営業所時代には1年間で60~70件の現場を回ったこともありました。半分は営繕的な業務でしたが、個々の現場でいろいろなことを少しずつ身に付けることができました。駆け出しのころに地方支店で経験を積ませてもらったのは、自分の成長にとって良かったと思います。

 デパートの新築工事で任された特別高圧関連の仕事は、技術者として大きな自信になりました。一連の手続きや試験などをすべて自分で対応。電源関係の大本の工事なので、少しの遅れが他の工事にも影響します。大きなプレッシャーが掛かる中で無事にやり遂げ、技術者として周囲の信頼を得ることができたと思えた仕事でした。

 40歳の時に大きな転機を迎えます。会社が中国への事業参入を決め、現地に会社を設立するプロジェクトの担当者を社内で公募。昔からの海外志向もあり、ぜひやってみたいと真っ先に手を挙げ、選ばれました。言葉も分からずに一人で現地に入り、中国勤務はトータルで9年。やることが毎日違うので、楽しく仕事をすることができました。

 言われてやるのではなく、自らの意志で動くことが重要だと思います。市場調査を含め、一から携わった会社ができた時の達成感はとても大きかったです。

 中国では言葉を覚えたり、両国の歴史を学んだりするなど、楽しみながらいろいろなものを吸収し、それが仕事にも役立ちました。仕事一辺倒だと苦しくなってしまいます。意欲のある社員に挑戦の場を提供するのも会社の責務。特に若手は仕事だけでなく、いろいろなことに興味を持ち、楽しみながらチャレンジする姿勢を大切にしてほしいです。

会社設立に奔走していた40歳のころ、休日に北京で撮影した一枚
 (やまだ・まさる)1979年法政大学工学部電気工学科卒、弘電社入社。弘電社機電工程〈北京〉董事長、取締役常務執行役員大阪支店長、常務内線事業本部長(現任)などを経て現職。島根県出身、63歳。

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