2021年2月15日月曜日

駆け出しのころ/日特建設取締役常務執行役員経営戦略本部長・川口利一氏

  ◇のめり込みスキルアップを◇

 興味があった映画関係の仕事では飯が食えないと断念し、就職活動で大学から紹介されたのが日特建設でした。仕事内容は現場の事務などと聞き、数字を扱う作業が割と好きだったこともあり、建設業界で働くのもいいかなと思い入社を決めました。

 最初の配属先は大阪支店。生まれも育ちも東京だったので、入寮時に近所の子どもたちが普通に大阪弁を話す様子を見た時、ショックを受けました。

 当時は業務量がそれほど多くなく、支店内の雰囲気もどこかのんびりとしていました。上司や先輩はいい方たちだったのですが、お酒が弱い体質の自分にとってほぼ毎晩の酒席はつらく、辞めてしまおうかと心が揺れました。しばらくして寮を出て1人暮らしを始めてから、周りと適度な距離感を保て心の安定につながりました。

 2年目に入って現場を2カ所回りました。推進工法で下水管を整備する和歌山の現場では、周辺にある井戸の水位や水質などに影響がないかを調べる業務などを担当。十数件ほどの民家に毎日出入りする際、こちらの声が聞こえなかったのか、不審者に間違えられて怒鳴られたこともありました。

 次の現場は大阪市内の高校の体育館。杭工事の現場支援に入りましたが、特にトラブルもなく手際良く作業が進みました。事務職で技術的なことは全く分かっていませんでしたが、当社は現場で稼いでいると実感できました。

 現場勤務後、支店に戻ってからは事務の仕事が手作業からパソコン入力に移行する改革期で忙しくなりました。現場勤務の人たちは作業を終えてから支店に書類などを取りに来ます。夜遅くまで残って現場の要望にできる限り対応するよう心掛けました。

 入社7年目に東京支店へ異動。大阪時代と違って現場の数が膨大で非常に忙しく、泊まり込みで業務に当たる日も多かったです。翌年移った本社経理部は20年以上にわたって在籍し、経営的に厳しい時代も経験しました。特に経理部長に就任した2006年ごろは業界全体が再編・淘汰(とうた)の波にさらされ、資金繰りに関する金融機関とのやりとりは想像を絶する大変さでした。

 精神的にもきつかったですが、「自分がやれることをやって駄目なら仕方がない」と、途中から開き直りました。前向きな上司と最後まで付いてきてくれた部下のおかげで、なんとか乗り越えることができました。

 自分が任されたポジションで何をすべきか。前任者や周りを気にしすぎず、自分なりに考えて行動することが大切です。個の成長なくしてチームは強くなりません。若い人たちは受け身にならず、いろいろなことにのめり込みスキルを高めてほしいと思っています。

入社4年目。大阪支店の同僚らとの懇親テニスで
(前列右から2人目が本人)

 (かわぐち・としかず)1983年日本大学商学部経営学科卒、日特建設入社。執行役員管理本部経理部長や常務執行役員経営戦略本部副本部長を経て2019年から現職。東京都出身、59歳。

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