2021年2月22日月曜日

【駆け出しのころ】ダイダン常務執行役員営業本部長・北村広外志氏

  ◇さまざまな場所で経験を◇

 就職活動では第1志望のフライトエンジニアがかなわず、それならばメーカーよりも事業全体に関われる設備工事会社に入りたいと考えました。大阪電気暖房(現ダイダン)に入社後、2カ月ほど設計部門での勤務を経て、大阪駅前の複合ビルの建設現場に配属。1年目は現場の清掃などを行いながら、職人の方々に追い回されていました。技術的な学びよりも、協力会社の方も含めて人のつながりが広がったことが大きかったです。

 次の現場は大阪市内のホテル新築工事で、高層階のホテル室を担当。部屋数も多く、建築とのやりとりでだいぶ苦労しましたが、きちんと収まった時の喜びは格別でした。

 周りでは設備以外にも作業が進められており、1歩でも半歩でも先に仕事を進めることが大切。少しでも前に進んでいれば周りも見え、トラブル発生時の対応も違ってきます。うまくいかないことばかりで葛藤の日々でしたが、若いながらも仕事をやり切ることで充実感がありました。

 入社6年目に大阪国際空港の増築・改修工事を担当。工期中に日航機墜落事故が起き、空港内は騒然としましたが、現場への影響は特になかったです。いかなる時も施設を供用しながらの作業のため、第三者に細心の注意を払い、さまざまなトラブルを想定し、1歩ではなく10歩先を読んで取り組むことが大変でした。

 所長として最後に担当した神戸市内の複合商業施設の工事では、工期中に阪神・淡路大震災が発生。地下部分を施工中だった現場の被害は軽微でしたが、周りは大変な状況にあり、現場を止めて5カ月ほど被災地の支援に入りました。

 41歳で営業部門に移った当初、現場勤務を通して技術や顧客のことは分かっており、やっていけるだろうと考えていました。しかし、名刺交換した相手に電話してもこちらのことを覚えてなく、なかなか会ってもらえず、また面会を断られたらどうしようと不安にさいなまれる日々。そんな時、あるゼネコンの営業部長から「営業は断られて当たり前。そう思ったらどこでも電話できる」などと諭され、営業のイロハを教えてもらいました。

 無駄足かもしれないけど、何度も出向き、名刺に訪問した日時と目的を書き込んで置いてくる。そうした地道なことの繰り返しの中で、受け付けや秘書の方々と仲良くなり、役員との面会もセットしてもらえるようになりました。仕事がある時以上に、ない時に普段から付き合いを深めることが大切です。

 一つの場所にとどまらず、率先して動き、さまざまな経験を重ねる。若い人たちには現場でも営業でも、その場所で切磋琢磨(せっさたくま)し、スキルアップしてもらいたいです。

入社8年目ころ、娘と出かけた近所の夏祭りで

 (きたむら・ひろとし)1980年日本大学工学部機械工学科卒、ダイダン入社。中国支店長や上席執行役員大阪本社副代表兼営業統括、常務執行役員西日本事業部営業統括などを経て2020年4月から現職。石川県出身、63歳。

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