2021年8月2日月曜日

【駆け出しのころ】りんかい日産建設取締役常務執行役員管理本部長・村崎善道氏

  ◇自発的な行動で力付ける◇

 就職活動をした時期はバブル期のまっただ中で、大学の同級生は金融や証券会社などに入る人が大勢いました。私はどうせやるならものづくりの会社で大きなプロジェクトに関わりたいと考え、建設会社を志望しました。

 縁あって入社した日産建設(現りんかい日産建設)で横浜支店に配属され、6カ月の研修期間のうち後半の3カ月で現場を回りました。最初の2カ月は東名高速道路の拡幅工事。現場事務所に泊まり込みの生活で苦労もありましたが、入社早々、技術系の同期らと実際の現場作業を経験できたのは良かったです。

 最後の1カ月は横浜市内のマンション現場。墨出しなど施工管理について、先輩方から丁寧な指導を受けました。工事主任が当時の日誌に書いてくれた「君のこれからの職務は分からないが、現場の大変さだけは心にとめて覚えておいて下さい」という言葉を、今でも大切にしています。

 研修後、支店では現場支援の工事事務を担当。請求書の処理や地鎮祭・竣工式の段取り、近隣のあいさつ回りなど、土木・建築現場のあらゆる事務的業務を任されました。当時は現場数も多く、2年目には若手ながらも約20カ所の現場支援に当たりました。

 初めて地鎮祭の司会を担当したマンションの案件で大失敗もありました。竣工後の施主への引き渡しでは営業と現場の担当者が対応するのですが、現場担当者の都合が付かず、私が同席することになりました。本社が用意した書類一式の中身をよく確認せずに持ってきたため、いくつか書類が足りないことが現地で判明。当時は携帯電話もなく、施主の事務所の電話を借りて支店から届けてもらうようにしました。

 これで終わらず、最後に手形をもらって渡す領収書を用意してないことにその場で気付きます。上司の顔がまともに見られず、穴があったら入りたい心境でした。大恥をかいたことで、その後は手続き関係の書類確認を徹底しています。

 3年半の支店勤務を経て本社に異動後は管理畑を歩いてきました。投資家向け情報提供(IR)や株主対応など、裏方の仕事は気苦労も多かったですが、どんな仕事でも自分を成長させることに注力し、それが会社のためになると考えて取り組みました。日本建設産業職員労働組合協議会(日建協)の執行委員時代には労働条件を担当し時短・賃金政策を任され、いろいろと勉強になりました。

 当社が経営破綻した時、能力の限界を超えたさまざまな修羅場を乗り越えてきたことは、自分の力になったと思います。大規模なリストラで弱気になった時、父親から「最後の1人になっても残れ」と諭され、頑張ることができました。

 若さはそれ自体がかけがえのない財産。何事にもひるまず挑戦できる。若手には自発的に行動し、率先して発言しながら経験を重ね、力を付けてもらいたいです。

入社1年目、初めて司会を担当した
マンション建設現場の地鎮祭で

 (むらさき・よしみち)1988年明治学院大学法学部卒、日産建設入社。管財人室課長、経営企画部長などを経て、2021年6月から現職。兵庫県出身、56歳。

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