2021年8月30日月曜日

【駆け出しのころ】大日本土木代表取締役専務執行役員建築本部長・櫻井俊介氏

  ◇発言に責任持って行動を◇

 ものづくりに携わりたいという漠然とした思いから、建築の世界に入っていきました。当社に入社後、研修を経て日本住宅公団(現都市再生機構)の賃貸住宅の建設現場に数カ月勤務。本配属されるはずだった別の現場が着工のタイミングなどが合わず、同期6人が同じ現場に集い、短期間でしたが苦楽を共にしました。

 仮設道路の荒れた箇所を砕石で整えたり、現場内のごみを片付けたり、雑用で毎日が過ぎていきました。特に技術的な仕事はしませんでしたが、現場を清掃し片付けてないと工事が進まないという基本を体で学んだと思います。

 夏ごろに千葉の高校増築工事の現場に移り、2年ほど勤務します。新人時代は現場のことをよく分からないながらも、とにかく一生懸命動きました。3年目に東京・代官山の高層マンションを担当した時、施工図を描かせてもらいました。現場では施工図に基づいて作業が進むわけですから、自分が間違えば大勢の人たちに迷惑が掛かります。その頃から技術者としてのプライドと責任感が膨らんでいきました。

 現場管理に当たり、若い頃に先輩から「自分の発言には責任を持て」と諭された言葉が強く印象に残っています。私の注意や配慮が足らず、おそらく何かクレームが入ったのでしょう。当初の計画・工程に基づいて自分が伝えたことも途中で変わったり、できなくなったりすることはあり、その後のフォローまで責任を持って行動することが大切です。

 6年目ごろに担当した茨城県内の中学校舎の改築工事は特に大変だった現場の一つ。お盆明けに工事が始まり、翌年3月の竣工という厳しい工期。次席の立場で現場を管理し、プレッシャーも大きかったです。夜中まで作業し、休む間もない現場でしたが、その中学校が母校だった地元の職人たちが文句も言わずに頑張ってくれました。

 現場は学校や庁舎、オフィス関係を中心に回り、勤務地は首都圏が多かったです。一時期、東北の各地を転々とし、福岡・小倉の税務署の現場を担当した後、次は札幌の郵便局の現場勤務を打診された時は、さすがに勘弁してほしいと伝えました。官公庁の工事実績を踏まえ、人員配置を考えた時に遠隔地への異動もある程度は仕方がないことだと思いますが、会社側も理解してくれて首都圏の現場に戻ってきました。

 結婚後は、家族に竣工した建物をできる限り見せてきました。新しい建物だけでなく、実際に使う発注者の方が施設のことを熱心に説明し、喜んでいる姿を家族に見せられたことがうれしく、やりがいと誇らしさを強く感じました。

 建設業で働く人はエッセンシャルワーカーであり、人々が普通に生活するために欠かせない施設を整備し、維持し続けています。若い人たちにはそうした仕事に携わることに誇りと自信を持ってもらいたいです。

入社5年目ころ、東京都内の高校増築現場で

 (さくらい・しゅんすけ)1981年日本大学理工学部建築学科卒、大日本土木入社。建築本部建築営業部長、建築本部長(現任)などを経て2021年6月から現職。岐阜県出身、63歳。

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