2021年8月16日月曜日

【駆け出しのころ】横河ブリッジ執行役員大阪工事本部長・菊池俊介氏

  ◇橋に魂を入れ達成感を◇

 就職活動中は特に「橋」にこだわりはありませんでした。どうするか悩んでいたころ、教授の勧めもあり横河工事(現横河ブリッジ)に入社しました。当時は「橋の工事をしている会社らしい」という認識しかありませんでした。

 入社して半年後、京都府内で小規模な橋梁架け替え工事をいきなり1人で任されました。右も左も分からない現場に立ち、当時は携帯電話もありません。困ったことがあれば現場の近くにあった喫茶店に駆け込み、先輩に電話し教えてもらった記憶があります。

 4カ月ほどで工事が終わり、すぐに大阪府内の橋梁現場に配属されました。貨物線が東海道本線をまたぐトラス橋の架設工事でした。回転工法という特殊な工法を使い、その様子がテレビのニュースで放映されるなど難易度、注目度ともに高い工事でした。工事所長が30代後半、次席は20代後半、その下が21歳の私という若すぎる編成に不安も感じました。

 鋼橋の現場管理は重量物を上下させたり、回転させたりするハンドリングが重要な仕事です。施工計画書を見ても理解できないことが多く、必死に勉強しました。当時は現場監督業務の合間に職人の仕事を手伝うのが暗黙の了解で、そこでさまざまなテクニックや小技を学びました。工事終盤には自ら測量、レイアウトした水田の排水溝や重力擁壁を施工したことが印象に残っています。

 阪神高速湾岸線延伸工事などに従事した後、入社4年目の結婚を機に計画部門へ異動になりました。会社の配慮はありがたいことですが、正直現場勤務を続けたい思いもありました。計画部門では道路橋示方書や架設設計施工指針などの関連基準書を何度も読み込みました。案件ごとに橋梁の設計計算や架設用仮設備の構造計画・強度計算などを実務として経験したことは、4年後に現場復帰した時に役立ちました。計画部門で力学的な知識を頭にたたき込んだ結果、自然に施工計画の立案や原価計算ができるようになっていました。

 工事部門に復帰後は所長として、大型工事や多種多様な架設工法を担当しました。特殊工法を使う現場は全体のごく一部しかありません。結果的に大半の架設工法を経験できたことは何事にも代え難い財産です。2003年以降は管理の立場になりましたが、「架からなかった橋はない、終わらなかった工事もない」という信念で、前向きに問題解決に取り組む原動力になっています。

 現在は制約条件も多く、いきなり若手が1人で工事を担当できる環境ではありません。工事が大型、長期化し若手を現場責任者に配置しにくいのが実情です。けれども数々の困難を克服しながら工事を完成させた時の達成感や充実感は決して変わりません。楽しく真剣に仕事と向き合い「橋に魂を入れる」を体験してほしいですね。

入社1年目で担当した大阪府内のトラス橋架設現場で(右端が本人)

 (きくち・しゅんすけ)1981年大阪府立高専(現大阪府大高専)土木工学科卒、横河工事入社。取締役建設事業本部・保全事業本部副本部長、同安全品質管理本部長を経て2018年から現職(執行役員制度導入で19年7月から執行役員)。大阪府出身、60歳。

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