2019年6月17日月曜日

【駆け出しのころ】ライト工業執行役員・楠浦重富氏


 ◇やり遂げた先に喜びがある◇

 熊本県の山間地で生まれ育ちました。父親の仕事が土木に関係していたこともあり、高校から土木の道に進みました。入社後、山間部ののり面防災工事を二つ手掛け、次に福岡市地下鉄の博多駅を構築するための地盤改良工事の現場に従事しました。三つの現場で出会った先輩3人の人柄や指導が、私の成長に大きな影響を与えてくれました。私にとって人生の師です。

 のり面防災の現場では何も分からない中で現場管理や書類作成など、仕事の基礎を厳しく指導いただきました。地下鉄の現場は地下水位が高く、削孔時すごい勢いで水が逆流してくる厳しい条件下での現場で求められる対応を学び経験することができました。3人とも仕事にはとても厳格で「造る物に対して、妥協せずにきちんとやり遂げろ」が共通の教えでした。

 後輩を指導する立場になり、共に働いたことも良い経験です。優しく指導するのか、厳しく接するのかなど、相手の性格によって指導法を変えることを学び、部下育成の難しさを痛感しました。ある現場で優秀な若手社員に仕事を任せたところ、完成図書の作成が間に合わず慌ててしまったことがあります。指導に問題がなかったかを自省し、その経験を次に生かすことができています。

 思い出に残っている仕事は、北九州市内で手掛けた老朽化したトンネルの補修工事です。1車線分の通行を確保しながらトンネル内部のコンクリートをはつり、鉄筋を配筋して吹き付けコンクリートで仕上げる工事です。非常に狭い中での作業に加え、既存コンクリートが当初の想定以上に固いなど条件が厳しく、本当に苦労した現場です。「この現場が終わったら仕事を辞めよう」。正直そこまで思い詰めていました。そんな中で3人の師の言葉を思いました。受けた以上はやり遂げようと決意を新たにし、後輩や協力会社の皆さんとともに無事工事を終わらせることができました。

 複数の工区に分かれていましたが最終検査が終わった後、私だけが発注先の所長に呼ばれました。「非常に難しい現場をやってくれてありがとう」。そう言ってもらえたのです。責任を持ってしっかりやれば良いことがある。本当にうれしく辞めようという気持ちは消えていました。

 災害時の応急復旧などが典型ですが、皆で協力すれば終わらないものはありません。仕事で追い込まれた若手から相談の電話があり、慌てて駆けつけて一緒に作業したこともあります。助け合うことが大事です。忙しい私を支えてくれた妻にもとても感謝しています。

 若い人には工期内に良い成果品を納めることを徹底してほしいと願っています。失敗しても正直に報告し妥協せずやり遂げる。会社は若い人が伸びなければ成長できません。さまざまな経験値を積み上げてほしい。若い人の育成が私の使命だと思っています。

家族で訪れた鵜戸神宮(宮崎県日南市)で。
長男(左端)はライト工業の社員として奮闘中だ
(くすうら・しげとみ)1978年熊本県立球磨農業高校(現南稜高校)卒、ライト工業入社。執行役員九州統括支店長、同本社技術営業本部副本部長、同関東支社副支社長など歴任。2018年4月から同本社安全品質環境本部副本部長。熊本県あさぎり町出身、59歳。〈本社安全品質環境本部副本部長兼衛生環境部長〉

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