2019年6月24日月曜日

【駆け出しのころ】佐藤工業執行役員監査室長・脇田和久氏

 ◇エンジニアとしての自信と誇りを◇

 大学進学時に土木工学科を選んだのは小学3年生の時に見た映画「黒部の太陽」がきっかけです。石原裕次郎が主演だったことは分かっていなかったと思いますが、「こんな大きなモノを作る、すごい仕事があるんだ」と強い印象を受けたのを覚えています。

 1983年に入社。最初の配属先は水資源開発公団(現水資源機構)発注の長柄ダム建設工事現場(千葉県市原市)でした。土を盛り上げて作るアースダムで、堤高52メートル、長さ250メートルと、この形式では東洋一の規模を誇ります。大学で土質を勉強し、ダムを造りたいと思っていたので、希望通りの職場でした。

 施工は当社と青木建設(現青木あすなろ建設)のJVが担当。職員は30人超で、年の近い先輩も多く、測量や現場実務の基本を習いました。7~8カ月過ぎたころ、ダムの土質試験室に異動。試験室はスタッフが5人で、私以外はすべて青木建設の方でした。

 室長は大変厳しい方でしたが、何も知らない新入社員の私に会社の枠を超えて丁寧にいろいろなことを教えてくれました。何よりも衝撃だったのは、その室長が事務系一般職で会社に入られ、独学で土木を学び、エンジニアになられたということでした。仕事に対し妥協を許さず、エンジニアとしてのプロ意識の高い方でした。この方との出会いが、その後の私の土木技術者としての歩みに大きな影響を与えたと思います。

 1990年に大阪支店へ移り、2010年に支店の土木部長に就任するまではほぼ現場勤務でした。高速道路や浄水場、ダムなど大半は“明かり工事”で、3本だけシールド工事を担当しました。このうち、神戸市発注の西神シールド工事(径2・8メートル)は、マシン到達部をマンホール(人孔)の決められた空間に寸分違わず誘導しなくてはいけない工事で苦労しました。

 到達部を薬液注入で固め、セグメント1リング分90センチを掘るたびにマシンを止めて位置を測量。ズレがあればマシンの掘進角度を変えて調整する。ドキドキしながら最後の掘進を終え、到達側の壁からマシン先端のカッターが見えた時の喜びは今も忘れられません。その後、「貫通の脇田」と呼ばれるようになりました。

 建設業の仕事はやりがいがあると言われますが、それは実際にやり遂げた者にしか分かりません。だから、若い技術者には最後までやり抜く力をつけてほしい。エンジニアとしてプロ意識を持ち、自分が目指すべきエンジニア像をしっかりと見定め、それに向けてさまざまな挑戦をしてもらいたい。エンジニアがみんな自分の仕事に自信と誇りが持てるようになれば、一般の方々にも建設業はどういうものかが伝わり、「建設リテラシー」がきっと進むと思います。

入社8年目で担当した大阪支店西神シールド作業所の現場で(左側が本人)。
写真㊧は到達したシールドマシン
(わきた・かずひさ)1983年大阪工業大学工学部土木工学科卒、佐藤工業入社。大阪支店土木事業部土木部長、同土木事業部長兼土木企画部長などを歴任。2018年から執行役員監査室長。奈良県出身、59歳。

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