2020年7月27日月曜日

【駆け出しのころ】NIPPO常務執行役員関東第一支店長・赤池利孝氏

 ◇目標に向かって挑戦を◇

 高校時代に地元の舗装会社でアルバイトをしていた時、現場代理人の方が部下や協力業者に指示する姿に憧れました。工事全体を采配する現場代理人の力量で舗装の出来栄えが左右されるところに、ものづくりの魅力を感じました。

 当時、一般道の舗装普及率は約20%程度。3年間お世話になった恩師から「土木の会社なら将来性のある大手舗装会社に行ったらどうか」というアドバイスもあり、日本鋪道(現NIPPO)に入社しました。半年間の研修を経て当時の東京支店に配属されました。

 憧れていた東京での仕事に期待も抱いていましたが現実は甘くはありません。官庁発注の夜間工事に多く携わり、交通量が多い現場で作業服を真っ黒にしながら働く日々。仕事が終われば宿舎に帰り、ただ酒を飲んで寝るだけの生活が続き会社を辞めたいと思った時期もありました。

 数年が過ぎて仕事を覚えてくると、いろいろなことを任されるようになり、ものづくりの面白さを感じていきます。当時の上司は「下積みをきちんと経験させてから現場代理人にする」という考えの持ち主。仕事には厳しい方でしたが気配りの人でもあり、背中を見ながら経験を積んでいきました。

 22歳からほぼ毎年、東京都内での国道の道路修繕工事に携わり、29歳の時、念願の現場代理人として工事を任されます。交通量が多く周辺に住宅も密集し、これまで経験した現場の中で一番厳しい施工環境でした。苦情が多い地域で、発注者からもしっかり対応し現場を止めることのないよう指導されていました。

 地元の方々に対する日々の工事説明などが功を奏し、ほとんど苦情なく無事故で工期内に完成できました。発注者から評価され局長賞をいただいたことは、多くの現場勤務の中で一番の思い出です。

 入社から45年がたちますが、そのうち32年が都内の現業でした。地域柄、危機管理が最優先課題であり必然的に意識が高まりました。その経験と上司から教えていただいた人材育成の大切さは、組織を管理する立場になってからも役立っています。

 ICT(情報通信技術)の普及や働き方改革などで建設業の労働環境も3K(きつい・汚い・危険)から新3K(給与が良い・休暇が取れる・希望が持てる)に変わってきています。現場ごとに違うものを大勢の人たちで完成させていく面白さは、今も昔も変わらない建設業の魅力です。自分の中で目標を持てば、苦しいことがあっても頑張れます。将来の建設業界を担う技術者には夢と希望を持ちながら、ものづくりに挑戦してほしいと思います。

入社15年目ごろ。子どもと出かけた水族館での一枚
(あかいけ・としたか)1974年峡南高校土木科卒、NIPPO入社。執行役員北信越支店長や常務執行役員関東第二支店長などを経て2018年4月から現職。山梨県出身、64歳。

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