2020年7月21日火曜日

【駆け出しのころ】オリエンタル白石執行役員営業本部副本部長・角本周氏

 ◇軸を作り逃げずに前進◇

 子供の頃、両親の実家を訪れる時に関門橋をよく通り、夏休みの工作で模型を作りました。高校時代はボート部の練習で川から橋を眺め、橋への関心が深まりました。

 将来は橋の仕事ができればと考えていましたが、特に鉄やコンクリートといった構造にこだわりはありませんでした。就職先を考え出したころ、大学の研究室にオリエンタルコンクリート(現オリエンタル白石)から求人がありました。同じ大学の先輩が一人もいなかったことに加え、たまたま見た専門誌の表紙を当社が北九州市内で施工した斜張橋が飾っていたことが決め手となり、入社を決断しました。

 入社後の研修を経て本社技術部に配属。まず担当したのは橋ではなく、台湾で計画されていた下水処理場の卵形消化槽の設計でした。米国のコンサルタントから業務受託したもので、設計コードは米国の基準を使用。大学時代に学んだことが役立ち、構造解析などは苦になりませんでしたが、問題は苦手な英語。設計計算書の作成に当たり、最初は上司から「日本語で書いておけば英訳はこちらで行う」と言われたにもかかわらず、1週間後には「いつまで日本語で書いているのか」と怒られました。

 2年目は建設省(現国土交通省)土木研究所に出向。その頃に建設が増えだした斜張橋の耐震設計が研究テーマでした。上司の方々の厳しい指導の下、研究成果を分かりやすく伝える書き方や耐震設計の基本を身に付けることができました。

 3年目に会社へ戻り、斜張橋やつり床版橋など特殊構造形式への対応や耐震関連の業務を担当しました。入社5年目には当社単独で初めて行う張り出し施工のPC(プレストレストコンクリート)斜張橋として、鹿児島の上甑島と中甑島を結ぶ「甑大明神橋」の現場に赴任。いきなり過去に経験したことのない大型台風が来襲し、工事用道路が流され、事務所のトイレが飛ばされるなど、逃げ出したくなるような厳しい環境でした。

 机上の計算で精度を追い求めても実際の現場ではその通りにいきません。いろいろ苦労の多い現場でしたが、実体験での気づきなどを通じて現場を見る目が養われました。開通式で島の人たちが喜ぶ姿を見て、斜張橋の下を漁船団がぐるぐる回って完成を祝ってくれた時は感動しました。

 中堅時代は社外の委員会で技術基準類の改定作業にも数多く携わりました。異なる立場の人たちの見方や考え方などに接しながら、合意形成の進め方も学びました。

 若い人たちには基礎を身に付け、自分の中の軸をしっかり作ってほしい。いくら経験を積んでも基礎がないと応用が利かず、成長できません。目の前の困難から逃げず、大変な状況を楽しむ。軸があれば、どんなところでもぶれずに歩いて行けます。

入社6年目。甑大明神橋の主塔頂部に設けた足場での一枚
(つのもと・めぐる)1987年金沢大学大学院工学研究科修了、オリエンタル白石入社。執行役員事業開発部長などを経て2020年から現職。島根県出身、57歳。

0 コメント :

コメントを投稿