若手が現場で覚えるのは技術だけではない |
あの日、自分が働いている建設現場で事故が起きたことを知ったのは、同じ作業所内で別の場所にいた時にかかってきた携帯電話でだった。駆け付けると、顔見知りで自分より三つほど年上の職長が重機の横に倒れていた。
井上辰哉さん(仮名)が建設会社に入社したのは10年以上前になる。死亡災害は、入社後二つ目に携わった工事現場で発生した。技術者として本格的に歩みを始めたころだった。葬儀に参列し、亡くなった職長に二人の小さな子どもがいたことを知った。「その子たちがかわいそうで、とても見ていられなかった」。今でもその時の気持ちを忘れることはない。
「作業員には絶対に危ないことをさせない」。現場では当たり前のことでも、事故が起きて悲しみとつらさを知るまでの意識とは大きな違いがあった。
井上さんは、この現場に勤務した3年間を「濃密で精神的にも鍛えられた」と振り返る。先輩技術者たちは皆が優秀で、他の現場で所長を務めてもおかしくない人ばかり。そうした先輩から教えられることがたくさんあり、確実に実力を付けられる環境だった。だが、現場での仕事は厳しく、「なんでこんなにつらいことを我慢しなければならないのか」と悩む日々が続いた。
それからしばらくたち、何とか仕事にも慣れてきたころ、後輩となる新人技術者が配属されてきた。その新人もすぐに悩み始めたのが分かった。まるで少し前の自分を見ているかのようで、放ってはいられなかった。
「ここで辞めてしまうのはもったいないじゃないか。もう少し頑張ってみろよ」。後輩に井上さんは熱心に声を掛けた。ところが、これを聞いた一人の先輩から予想もしない叱責(しっせき)を受ける。
「お前はそんなことを言って、彼の人生に責任を負えるのか」
心に重く響く言葉だった。確かに責任を負うことなどできるはずもない。でも、気持ちは割り切れなかった。仕事に悩んで会社も辞めたいと考えている後輩を、なぜ励まし踏みとどまらせてはいけないのか。
あれから約10年。結局、何とかしたいとの思いで励ました後輩は、会社に入って1年もたたずに辞めていった。井上さんは後輩たちともっと踏み込んで接しなければいけないと思うたびに、「責任を負えるのか」という言葉がトラウマのように頭に浮かんできてしまうという。
だが、厳しい仕事に耐えながら、事故だけでなく後輩との付き合い方などさまざまなことに思い悩んだあの現場。ここでの経験が、その後に社外の団体へ出向した際にも大いに生かされることになる。
「会社から出向を命じられた時は、正直に言って『俺、もう会社には要らないんだ』と思った。しかし出向中に経験できたことは大変貴重だった。多くの人とも出会えた。自分には若いころにいたあの現場での3年と、出向で得られたものの価値は大きい」
井上さんは、かつて事故が起きた現場で一緒に働いた仲間と、亡くなった人の命日に墓参りをしている。行けなかった年もあるが、これからも続けていくつもりでいる。それは故人を偲(しの)びつつ、自分の原点に立ち返るためなのかもしれない。
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