現場の感動と喜びを味わってほしい
大学の建築学科に入学した時から、施工に直接携われるゼネコンに就職しようと決めていました。祖父は国の橋梁技術者だったようで、父から栗橋にある鉄橋を通るたびに「この橋はおじいちゃんが造った」と聞かされたものです。そんな影響もあって自分で造ったものが残る仕事に興味を持ったのかもしれません。
入社して最初に配属されたのは、茨城県那珂町(現那珂市)の中央公民館建設工事の現場でした。竣工が近づいたある日、所長から外構工事を担当するよう指示されました。仕事を任されたのはうれしかったのですが、新人には何をすればいいのか分かりません。このため事務所にただ一人座っていた所長にお願いし、外構の施工図をどう書くのか教えてもらいました。今にして思えば、何とずうずうしい新人だったのかと恥ずかしくなります。でも竣工検査で町役場の方にほめられた時は感動しました。
入社して5年がたった1987年、埼玉県川口市の川口総合文化センター(現リリア)の建築工事現場に配属されました。オフィスや商業施設が入る高層棟と、2000席の大ホールが入る低層棟で構成され、私は躯体工事の途中から大ホールを担当しました。自分でクレーンの構台を設計するなどいろいろな経験を重ねて建物が竣工し、ホールのこけら落としのクラシックコンサートとアルフィーのコンサートを間近に見られた時は感無量でした。
社内に組織されている大学同窓会の懇親会で (2列目の左から2人目が本人) |
この現場で設計監理者とやり取りした図面は3年間で1万枚になっていました。とても大変でしたが成長でき、ここでの経験がそれからの現場の施工管理に大いに役立つことになったと思います。
現場では大変なことやつらいこともあるものです。若い人にはそれで転職をしたいと思ったとしても、一度は現場が竣工する時の喜びと感動を味わってほしいんです。建設業の仕事は最後に作品が残ります。自分の携わった作品で大勢の人に感動を与えられ、自分も感動できます。その感動と喜びを活力にしてほしいと願っています。
(あらお・たくじ)1983年武蔵工大工学部卒、飛島建設入社。関東建築支店建築部工事部長、同支店建築事業部建築3G部長、東日本建築支店関東建築事業部長、首都圏建築支店建築事業部長、同支店建築部長などを経て14年4月から現職。栃木県出身、55歳。
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