2015年3月2日月曜日

駆け出しのころ/東急建設常務執行役員首都圏土木支店長・水谷景洋氏




映画で見たダム工事に憧れて土木の道に進んだ。
入社2年目頃の現場で(後列右端)
 ◇真剣だから腹が立つことも
 小さいころからものづくりが好きで、自分が住みたい家の見取り図を書くなどして遊んでいたのを覚えています。小学5、6年生のころ、親に連れられて映画館で見たのが「黒部の太陽」でした。それをきっかけに建築より大きなものを造れる土木への興味が湧き、土木の道に進みました。
 東急建設の面接試験では、夢だったダム工事に携わりたいと話しました。すると「うちの会社のダム工事をどう思うか」と聞かれたので、「まだまだこれからではないでしょうか」と答えてしまいました。だからこそ余計にこの会社でダムを造りたいとの思いから出た言葉だったのですが、今振り返っても、何て生意気なことを言ったのかと恥ずかしくなります。言った途端に「これは滑った」と思いましたが、何とか採用していただきました。
 入社して1週間ほど研修を受けた後、最初に配属されたのは京都にあった下水浄化施設の現場です。ここでは先輩から現場に出るための基本などを教えてもらいました。新人のころに担当したのは主に測量や材料の手配などです。この現場では工期前半に雨の日が多く、生コンをなかなか打てずにいました。所長が「歌がはやっているからか」と嘆いておられたのをよく覚えています。八代亜紀さんの「雨の慕情」がヒットしていたころでした。そんな所長の心配をよそに、若かった私は雨が降ると楽ができそうでうれしかったものです。
 阪神大震災が起きた95年1月、私は京都の現場にいました。復旧支援のため被災地に駆け付けた時、変わり果てた街を見て自然に涙が流れました。それ以降、京都の現場には一度も戻ることなく、神戸での復旧工事に携わりました。
 ご近所の方から「うるさくてもいいのでどんどんやってください。でも監督さん、次の地震が来たら私はここにいるので助けに来てください」と言われたこともありました。そうした方々の期待も背負いながら、私たちは使命感を持って復旧工事に当たったと自負しています。
 後輩に聞くと、現場での私は相当に厳しい先輩だったようです。確かにまじめに取り組まない人には腹が立ち、時には尻を蹴り上げてしまったこともあります。許されることではありませんが、それだけものづくりには真剣だったのだと思います。
 かつて先輩から言われたことでもあるのですが、若い人たちには自分で考える力を付けてほしいと思っています。言われたからやるのでは駄目です。言われたことの意味をよく考えてやる。これが大切です。
 (みずたに・あきひろ)1980年関西大工学部土木工学科卒、東急建設入社。09年6月執行役員、10年4月土木総本部長、同6月取締役兼常務執行役員、12年4月鉄道建設事業部長、13年4月首都圏土木支店長、同6月常務執行役員。大阪府出身、58歳。

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