公共事業に対するバッシングが激化したあの時代は何だったのか-。
交通インフラを整備・管理する組織で技術者として働く中堀達也さん(仮名)は、「コンクリートから人へ」を政策スローガンに掲げた民主党政権時代の出来事をいまだに理解できずにいる。社会のために役立つ仕事を選んだ自分の信念は揺るがないが、短絡的に「公共事業=悪」と見る社会の風潮に違和感を感じていた。
この10年余りの間、建設産業を取り巻く環境は変化し続けた。公共投資の減少傾向に歯止めが掛からず、東日本大震災の前がマイナスの底に。震災以降は被災地の復旧・復興事業だけでなく、全国的にインフラ整備の重要性が再認識され、事業が凍結されていたインフラプロジェクトも相次ぎ再開へ動きだした。
経済対策を重視する現政権に交代し、その流れに一段と拍車が掛かる。震災の被災地以外でも防災・減災効果を見込んだ新規事業や、老朽化施設の更新事業などが活発化してきた。
中堀さんの職場も、震災前までは建設部門を縮小する方向で組織の再編が進んでいたが、それが一転。事業急増への対応を迫られるようになった。今は個人の踏ん張りで持っている面もある。
30年近く交通インフラの建設現場を渡り歩いてきた。事業を進める際、今も昔も反対する人は少なからずいる。周辺地域の住民にとっては自らの利害に直結するから、正論だけで問題は解決しない。地元への事業説明会でそれぞれの言い分を聞き、考え方の異なる関係者が折り合いを付けながら事業を一歩ずつ前に進めていくしかない。
十数年前に建設事業に携わった場所の近接地で再び工事を行うことになり、昨年、近隣住民への説明会を開いた。「工事車両が自宅前の道路を通ることに快く応じてくれる人もいれば、前回の工事の際に事業者に不信感を抱き、厳しい声をぶつける人もいた。インフラ整備にはいつの時代も賛否両論があり、理解を得るのは容易ではない」。
それでも地域のためになるものを造り続けてきたというプライドが、中堀さんが今の仕事を続ける原動力になっている。
10年ほど前に新居が完成し、引っ越し作業が終わったその日に大きな地震が発生した。幸い家屋に被害はなかったが、管轄する施設が被災。早期啓開への対応や復旧事業に向けた関係先との調整などで数日間、自宅に帰ることができなかった。
地域の人たちのために、被災した施設を一日でも早く復旧させようと寝る間も惜しんで工事関係者らと作業に当たった。「他人のために行動することが自分の幸せにつながるという『利他利己』の精神がなければ、インフラを整備・管理する仕事は続けられない」と思う。
公共インフラは市民の暮らしや企業活動に欠かせない。それを整備・管理する仕事もなくなることはない。それだけ重要な役割を担っているのに、建設産業への社会の評価とイメージはまだまだ低いと感じる。
社会のためにと一心不乱に仕事を続けてきたが、これからは建設産業の社会的地位の向上のために何ができるかを考えていこうと思う。「みんなを幸せにする産業」に関わり続けることに迷いはない。
インフラを支える建設産業の未来は… |
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