2020年3月2日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・247

ドバイでの仕事はワクワク・ドキドキの連続だった
◇海外勤務は成長のチャンス◇

 飛行機が離陸してしばらくたってから、隣に座る外国人が不意に新聞を大きく広げた。狭い機内で何事だと思った次の瞬間、新聞の文字が目に入った。アラビア語だった。「ああ、俺は本当に中東に行くんだ」。設備メーカーに勤務する郡司正広さん(仮名)は心の底から喜びがこみ上げてくるのを感じた。念願だった海外勤務のため、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに向かう飛行機でのことだった。不安もあったが、それ以上に中東での仕事が楽しみだった。2004年のことだ。

 出身は北海道小樽市。地元の工業高校を1988年に卒業し、ガソリンスタンドで働くことを選んだ。給油や洗車、エンジンルームの点検など毎日忙しく過ごした。働き出して数年たった時だった。雑誌で「海外青年協力隊」の募集広告を目にする。「海外で働いてみたい」という思いが込み上げてきた。中学校の教員をしていた父親が、海外の日本人学校で教えようと海外に挑戦している姿を見てきた。いつかは「自分も海外で」という思いもあった。何かの役に立つだろうと大型二種や大型特殊、アマチュア無線技士などさまざまな資格を取った。

 設備メーカーに中途入社したのは91年。複数の海外拠点があるのも魅力だった。入社後は北海道の支店に勤務。なかなか海外で働くチャンスはなかったものの、数年後、ロンドンの高層ビルに昇降機を納入するプロジェクトが始動した。責任者は勤めていた支店の上司だった。上司が一時帰国したのを知って今しかないと思った。それほど面識はなかったが「ぜひ自分を連れて行ってほしい」と直談判した。

 01年ころから1年半ほど、ロンドンで現地スタッフを教育しながら自分も施工に携わった。当時は英語もままならなかったが、自分が教えたことを生かし現地スタッフが黙々と作業している姿を見て、自分の仕事にやりがいを感じた。

 その後も海外勤務への情熱は消えなかった。年末に会社へ提出する自己申告書に「海外で働きたい」と書き続けた。ロンドンに続いて赴任したのがドバイだった。ロンドンは出張ベースだったが、今回は初めての海外支店勤務。期待に胸が膨らみ「ドキドキだった」。空港で使う昇降機の設置工事などに携わった。

 その後もいくつかの海外勤務を経験した。中でも苦労したのが南アジアのある国でのこと。タワーに昇降機を設置する工事を手掛けた。モーターを一度分解して組み立てる作業があり「工具が手に入らなかったのが一番つらかった」と振り返る。工事の難度が何倍にも増した。「内心ハラハラしながら現場の指揮を執っていた」が、革新的な方法があるわけではない。時間をかけて確実に仕事をこなした。現地のリーダーには、今何をやり重要なポイントがどこなのかをできる限り伝えようと心掛けた。

 海外で働くことは技術者としてだけでなく、経験を積み見聞を広めて人間として成長する絶好のチャンスだ。最近は海外勤務を希望しない若者も多い。「海外での仕事は責任の範囲や重みが日本と異なる。日本での仕事とは違ったやりがいがある」といい、ぜひ挑戦してほしいと若手の奮起に期待している。

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