2020年3月9日月曜日

【駆け出しのころ】日本道路取締役専務執行役員生産技術本部長・石井敏行氏

 ◇自ら行動しスキルを磨く◇

 父親が下水道関係の建設業を営み幼いころから工事現場を見ていたこともあり、自然と土木の道に進み大学では道路工学を学びました。就職活動の時、ゼネコンより専門的な企業で勝負した方がやりがいもあるのではないかと考えていました。

 入社後はまず九州支店の試験所に配属されました。アスファルト合材の配合設計など基本的なことを教えてもらっている研修期間中でしたが、3カ月後には北海道の現場支援を命じられました。行った先で温かく受け入れられ苦には思いませんでしたが、今後もあちこちに飛ばされるのかと、不安になったのを覚えています。

 冬前に九州へ戻り、仕事は試験所を中心としながら、福岡市内の小さな現場に時折勤務する日々が3年ほど続きます。技術者としての基礎を固める期間になりましたが、「現場で経験を積みたい」と副支店長に直談判。入社4年目に沖縄営業所へと異動しました。

 当時の沖縄はアスファルト舗装よりも道路の改良工事が多かったです。道路掘削や構造物の構築のほか、下請で入ったダム現場でのり面工事にも携わりました。結局、沖縄は12年の長期勤務となり、昼も夜も営業所がワンチームで仕事に当たりました。

 担当以外の現場も自分の仕事が終わった後に見て回り、数多くのことを学べました。上司や先輩たちに指導され、心にとどめている言葉に「一つ上の職位の立場で仕事をすること」があります。今の立場に縛られると周りが見えにくくなる。一歩引いた目線で全体を見渡すことで、見えなかったものに気付くことも学びました。

 入社6、7年目の過渡期には家業の継承や忙殺されるほどの仕事量など、悩みも多かったです。ファミリーのような営業所の方々の支えもあり、仕事を辞めたいとは思いませんでした。沖縄という風土もあったのか、みんなが「なんとかなるだろう」と考えていたように感じます。苦労も多かったのですが、今思えば楽しい時代でした。

 自分から行動することが何よりも大切です。現場のトラブルで顧客などから時には怒られたこともありますが、常に上職者に相談し、先手を打つ対応を心掛けることで、評価されたことも少なくありません。

 図面を見て自分の思い描いたように造り上げるのが現場技術者の面白みでもあります。若い人たちにはものづくりの責任者として、前向きに日々の仕事に取り組んでもらいたい。われわれは背中を見て学ぶ世代でしたが、氷河期世代の中堅技術者が少ない現状などから、若手を早く一人前にする教育システムが求められています。さまざまなことに挑戦し、自分のため、会社のためにスキルを磨いてくれればと思います。

入社14年目、沖縄営業所の社員旅行で(後列左から5人目が本人)
(いしい・としゆき)1982年日本大学理工学部土木工学科卒、日本道路入社。執行役員、取締役常務執行役員などを経て2019年4月から現職。東京都出身、62歳。

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