岸田文雄首相は経済政策の柱となる「分配戦略」の一つに四半期開示の見直しを掲げている。企業が長期的な視点に立ち、株主だけでなく従業員や取引先も恩恵を受けられるような経営を促す狙いがある。
鈴木財務・金融相は「中長期的な企業価値を見る上でも、業績の進捗(しんちょく)確認が必要との意見もある」と述べ、丁寧な議論を行う必要性を強調した。
日刊建設工業新聞社の公式ブログです。
岸田文雄首相は経済政策の柱となる「分配戦略」の一つに四半期開示の見直しを掲げている。企業が長期的な視点に立ち、株主だけでなく従業員や取引先も恩恵を受けられるような経営を促す狙いがある。
鈴木財務・金融相は「中長期的な企業価値を見る上でも、業績の進捗(しんちょく)確認が必要との意見もある」と述べ、丁寧な議論を行う必要性を強調した。
記念誌の写真は1903年に大阪で開かれた内国勧業博覧会。 主要施設の大半を大林組が手掛けた |
1892年に大林芳五郎が大阪市西区に土木建築請負業「大林店」を創業したのが起源。25日に130周年を迎えた。
記念誌で蓮輪賢治社長は「培ってきた“ものづくり”の技術を生かし、既存事業の枠にとらわれない成長を目指す」と決意を述べている。
記念誌では明治政府が殖産興業政策の一環で開催した第5回内国勧業博覧会や東京中央停車場、関西国際空港、東京湾アクアライン、明石海峡大橋、東京スカイツリー、ナムニアップ1水力発電所、熊本城など同社が携わった25事業をピックアップ。事業内容や進化を遂げてきた設計・施工技術などを紹介している。
建設費は有楽町線延伸(4・8キロ)が約2690億円、南北線延伸(2・5キロ)は約1310億円。ともに2030年代半ばを開業目標とする。交通政策審議会(交政審、国交相の諮問機関)の昨年7月の答申で早期事業化を促した2路線の延伸事業が始動する。
有楽町線延伸の沿線地域は、国と東京都が特定都市再生緊急整備地域や国際戦略総合特区の「アジアヘッドクォーター特区」に位置付け、ここ数年多くの再開発が進んでいる。延伸路線は臨海地域と都区部東部の観光拠点などとのアクセス利便性の向上などが期待され、東西線の混雑緩和にも寄与する。
南北線延伸の周辺地域である品川駅周辺では、リニア中央新幹線の整備を契機に広域的な交通結節点となり、新たな国際競争力強化の拠点として、多様な機能が集積する再開発エリアとなっている。延伸路線は品川駅でJR東日本の主要幹線、羽田空港に連絡する京急線、JR東海の東海道新幹線と接続。六本木や赤坂など都心部へのアクセス利便性を一層高める。
従来のカラーから大きく変わったことに「若干戸惑う社員もいた」(技術部技術室GISグループ桜庭牧さん)という。だが黄色いユニホームで顔周りが明るくなり、印象も明るくなったことで「思い切って黄色にして良かった」と評判という。
「こわもてのベテラン世代が黄色いユニホームを着ると、雰囲気が柔らかくはつらつとして見える。(黄色には)話し掛けやすい印象を与える効果もある気がする」と桜庭さん。「当社のベテラン勢がさらにすてきになっている」とも。新しいユニホームは世代間のコミュニケーションの活性化にも一役買っているようだ。
水道管や電線など東京の地中にはさまざまなものが埋まっている。政府や東京都らが推し進める無電柱化に関連し、電線共同溝の図面を作っている。電力会社や通信会社、上下水道管の管理者などの要望を聞きながら、電線共同溝の配置を決めていく。見やすさも心掛け図面を作るのはなかなか難しい。そこが「調整役としての腕の見せどころ」と話す。
インテリアの仕事に就くためCADのスキルを習得。オペレーターとして成和コンサルタントに派遣され、初めは短期間だけ働くつもりだった。職場の上司から「もう少しやってみないか」と声を掛けられ、正社員として働くことを決めた。
「あなたの図面はすごく努力していることが分かります」。そんな言葉を打ち合わせの相手から掛けてもらったことがある。CADで線を何度引き直しても図面に跡が残っているわけではない。それでも「見る人が見れば努力は伝わる」と実感、当時の言葉は今も心の支えになっている。
無電柱化が完了した後、歩道がより美しく、災害対策にもつながる設計をするのが今の目標。配置がうまくいかないと住民に親しまれている街路樹を伐採しなくてはならないこともある。「街路樹は残し、電気設備のボックスが歩行者の邪魔にならないよう、歩行者や住民に配慮した図面に仕上げたい」。細かい心配りにプロとしてのこだわりがある。
(なかざわ・ちかこ)
小さい頃旅行先で、何げなくダムやトンネルを見て、「どうやって造ったのだろう」と興味を持ったことが建設業を志したきっかけでした。大学進学で土木工学科を選び、就職活動ではゼネコン以外に公務員試験も受け合格したのですが、「現場に行きたい」という思いが強く、ゼネコンへの入社を決めました。
最初に配属されたのは伊豆のリゾート施設でした。造成工事の他、流れるプールなどを造るのが仕事でした。その当時印象的だったのは、先輩から「お前が危ないと思ったことは止めさせろ」と言われたことです。まだ現場に慣れていない素人同然の自分から見て、危ないことは本当に危ないという意味でした。現場経験を重ねるごとにその言葉の大切さを実感し、今では自分が若い職員に言うようにしています。
施設は配属から1年半ほどで完成し、オープニングセレモニーにも出席させてもらいました。完成の喜びを知った経験は今でも忘れられません。
最も尊敬する上司に出会ったのは、30代前半に配属された鳥取県の農道工事の現場です。都市土木工事の経験しかない自分にとって、考えもつかない驚くような発想をする人でした。急峻(きゅうしゅん)な山の上や谷底で掘削する際は、「こんな方法があるのか」と驚くような方法でバックホウを移動させる計画を指示されました。大変難しい計画でしたが、どうにかその指示に応えられるように努力しました。コスト管理にも厳しく、生コンの打設中に「人数をかけすぎだ」と叱られたこともあります。
工事完成の翌年、鳥取県西部地震で震度6強の揺れが現場を含む地域を襲いました。現場近くに住む人に聞いたところ、付近の国道が崩れ通行できず、代替道路としてその農道が利用されたそうです。
41歳で初めて所長として手掛けた横浜市営地下鉄の工事は一番思い出深い現場です。全部で20工区程ある大きなプロジェクトで、発注者からは「この工区が遅れると地下鉄の開業が遅れてしまう」と言われ大変プレッシャーがありました。工程を早めるために施工しやすい工法を検討したり、工程を工夫したりして発注者に提案しました。
現場見学会には1日に2000人以上が訪れ、多くの人に工事の大変さ、大切さを理解してもらいました。最終的には地下鉄の開業に影響することなく完成させました。開業時の感動はひとしおで、現場職員や協力会社の人たち20人程で一番電車に乗ったことは大切な思い出です。
多くの現場を経験しましたが、現場は千差万別で一つとして同じものはありません。施工する人が変われば施工方法も変わります。若い人には、「この機械はどうやって動いているのか」など、興味深く現場を観察してもらいたい。「できない理由ではなく、どうすればできるか考える」という意識を持って、常に前向きな気持ちで取り組んでほしいと思います。
入社2年目ころ、横浜支店の有志と登った富士山の山頂で (後列左から3人目が本人) |
鉄道建設・運輸施設整備支援機構は、北海道千歳市の南千歳駅から夕張市を経て新得町の新得駅までを結ぶ「石狩・十勝短絡鉄道(追分線、紅葉山線、狩勝線の3路線)」(現JR北海道石勝線)の工事記録映像を、動画投稿サイト・ユーチューブの「JRTT鉄道・運輸機構公式チャンネル」で公開した。
同機構の前身となる日本鉄道建設公団は1964年に発足し、同時に札幌支社を開設。鉄道建設事業を国鉄から引き継ぎ、幾多の困難と闘いながら北海道全域の鉄道建設に取り組んだ。その一つ石狩・十勝短絡鉄道の建設は難工事で約260メートルの試験トンネルを掘り、軟弱で膨張性のある蛇紋岩を徹底的に調査した上で本トンネルを掘削した。
公開した映像「北の鉄路をひらく~石狩・十勝短絡鉄道建設はじまる~」では、北の鉄路の建設に取り組んだ工事の様子を伝える。時間は約21分。日本鉄道建設公団が企画し、北海道放送映画(現エイチ・ビー・シー・フレックス)が66年に制作した。
発進準備中のシールド機(21年12月撮影、横浜国道事務所提供) |
横浜湘南道路は栄IC(横浜市栄区田谷町)~藤沢IC(藤沢市城南1)の約7.5kmを結ぶ自動車専用道路。トンネル部は延長5.4km、シールド内径12m。西端部で新湘南バイパスと接続し、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の一部を構成する。2024年度の開通を目指している。
1号機は藤沢市大鋸から藤沢IC方面に向けトンネルを構築している。現在は小田急江ノ島線交差部(藤沢市本藤沢1)付近に到達。立坑(同城南4)で回転し、上り線を掘削する予定だ。
海沿いを通る西湘バイパスの歴史は災害との闘いでもあった (中日本高速道路会社提供) |
神奈川県の大磯町と同小田原市を結ぶ「西湘バイパス」が27日で開通50周年を迎える。関東地方整備局と中日本高速道路会社は、節目を機に開通からの整備効果をまとめた。湘南地域の東西交通軸として50年間で通行した車は累積で約6・7億台。経済波及効果は約3・2兆円にもなるなど、神奈川県西部の観光や産業振興に貢献してきた。また繰り返される高波被害を解消するための波浪対策工事も進んでいる。
西湘バイパスは大磯東IC(大磯町)から二宮町を経て箱根口IC(小田原市)までの約20・8キロを結ぶ。国道1号の海側を平行し、ほとんどが相模湾沿いを通る。大磯町から箱根町までの所要時間は国道1号を利用した場合に比べて約70%短縮でき、神奈川県西部の東西交通に大きく寄与してきた。
沿線や周辺には多くの観光地がある。西側には箱根や熱海、伊東などの温泉地。東部には大磯ロングビーチや海水浴場などが立地している。2003年から19年までの15年間で沿線3市町の観光客数は約200万人増加した。
西湘バイパスは産業道路としても大きな役割を果たしている。神奈川県の水産業は開通後の50年間で大きく発展。特にかまぼこの生産量は全国シェア日本一(約42%)を達成した。沿道には漁業をテーマにした観光施設「漁港の駅TOTOCO小田原」(小田原市)ができるなど漁業の活性化にも一役買っている。
一方で相模湾の海沿いを通る道路は繰り返し高波で被害を受けてきた。07年の台風9号では擁壁や路面が陥没。19年の台風19号でも橋脚の洗掘や西湘PA下り線(小田原市)の建物損壊などの被害を受けた。関東整備局は国直轄工事として海側の護岸強化に注力。中日本高速会社も、被害を受けた西湘PA下り線の地盤かさ上げや人工知能(AI)を使った越波リモート監視システムなど、新たな災害対策に取り組んでいる。
東日本高速道路会社らは住民の現地視察会も検討する (東名側の本線シールドトンネル、21年12月16日撮影) |
東日本高速道路関東支社、中日本高速道路東京支社、関東整備局の3者は昨年12月に「大泉側本線シールド・大泉JCTランプシールド」「中央JCTランプシールド」の再発防止対策と地域の安全・安心を高める取り組みをまとめた。これを踏まえ大泉側の本線シールド2機とJCTランプシールド1機について、再発防止対策や今後の対応の調整が整ったシールドマシンから掘進作業を順次再開。まずは大泉JCT(練馬区)の事業用地(事業者所有の土地)内で掘り進め、再発防止対策を確認する。添加材の調整をより円滑に実施するため、4カ所(練馬区2、杉並区1、武蔵野市1)で追加ボーリングも行う。
今後、2月1日まで大泉シールド工事周辺(練馬区、杉並区、武蔵野市)の住民向け説明会を計6回開く。今月26、29日には三鷹市で中央JCTランプシールド工事周辺(三鷹市、世田谷区)の説明会を開き、シールド2機の掘進を再開する考えを明らかにするとみられる。地表面陥没などが発生した東名側の本線シールド工事周辺(調布市)は損害補償や地盤補修を最優先に取り組んでおり、シールド2機の掘進再開のめどは立っていない。
会員各社で働く若手社員のインタビューを中心に構成。建築設備エンジニアを志した動機や実際に働いた感想、学生へのメッセージなどを掲載している。
建築設備エンジニアは電気や衛生、空調、防災など関連する分野が幅広く専門性も高い。パンフレットでは「建物にあらゆる製品や技術を自由に組み合わせ魂(いのち)を吹き込むプロデューサー」と表現している。
日建連によると、会員各社の設備部門は建築以外の理工系学科を卒業した人材が不足傾向にある。ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)などのニーズも見据え、機械や環境などを専攻する理工系学生の活躍の場が広がっている。
映像コンテンツ事業やアリーナ・スタジアム関連事業などを展開。コンサルティング事業やスポーツを通じた街づくり、地方創生事業も手掛けていく。
両社に加えて、ダーツライブ(東京都品川区、桝本菊夫社長)、フューチャーリンクネットワーク(千葉県船橋市、石井丈晴代表取締役)、トレンドジャパン(東京都港区、赤坂孝二代表取締役)らが参画している。
新会社のコンセプトには「Create an Experience まだ見ぬ体験を、ここに」を掲げた。各社のノウハウ、得意分野を結集し、スポーツ・エンターテインメントで本当に必要とされている価値を提供。課題解決に向けたソリューションサービスを生み出すとしている。
梓設計は、これまで培ったスタジアム・アリーナ施設計画のノウハウを生かして、事業企画立案・推進や、施設運営、地域との協創プロジェクトなどに取り組む。組織設計事務所の領域を越えた顧客の課題解決や付加価値の提案を目指す。新会社の所在地は港区赤坂1の8の1赤坂インターシティAIR。資本金は3000万円。
建設業で働く父親の背中を追って同じ道を志した。高専4年の夏休みに四電工のインターンシップ(就業体験)に参加。現場で活躍している女性技術者の姿を見て「女性でも働きやすい会社」と思い、就職先に選んだ。
入社3年目。先輩に付いて通信ケーブルの移設や撤去工事の現場で代理人業務を勉強中だ。施工会社や資機材の手配、施主と工期の調整など業務は多岐にわたる。「今はまだ先輩に質問しながら進めている段階。工事完了後の最終確認だけで済むように早くなりたい」と目標を語る。
積極的な姿勢を大切にしている。「できないかもしれないと思うのではなく、まずはやってみて、できるかできないか判断するようにしている」。将来は「施主から『ぜひ山崎さんにお願いしたい』と指名してもらえるようになりたい」と笑顔を見せる。
「建設業はまだまだ男性が多い。女性だからと気持ちが引いてしまう部分はある」と思っている。それでも「迷っているなら飛び込んできてほしい」と後輩にエールを送る。
プライベートで運転中に工事を手掛けた現場近くを通ることがある。そんな時、「ここは自分がやった。頑張って良かった」と思える今の仕事にやりがいを感じている。年の近い妹も後に続き、建設業界に入った。父親と妹の3人で一緒の現場に立つ日が来るのを待ち望んでいる。
(やまさき・ちひろ)
「舗装工事の基礎を作ってやろう」。強い意気込みでミャンマー赴任を決めた |
「舗装工事の基礎、土俵を作ってやる」。道路舗装会社に勤める倉園雄真さん(仮名)は、アジア最後のフロンティアと呼ばれたミャンマーに7年前赴任した。鹿児島で建設会社を営む父の背中を見て育った。尊敬する父の会社で働く選択肢もあったが「広い視野で仕事をしたい」という思いが強く、東京の大学で土木を一から学ぶ決心をした。父は「自分で決めた道をひたすら進め」と背中を押してくれた。
2021年2月に突如起きたクーデター。工事が中断し帰国を余儀なくされたが、「ミャンマーに戻って仕事をしたい」との思いがある。もどかしさを感じつつ、遠く離れた日本から現地技術者の育成や採用活動などに携わっている。
会社に入ってから千葉県などで舗装工事に携わった。転機は入社4年目に担当した米軍基地内のグラウンド整備工事だった。アメリカ人の技術者と食住を共にしているうちに、それまでなかった感情が芽生え始めた。「海外で仕事がしたい」。だが勤めている会社に海外支店はなく、諦めるしかなかった。
転機はある日突然訪れた。上司からミャンマー商工会議所への出向を打診された。建設業以外の仕事をこなしつつ市場調査を行うのが業務内容だった。出向を快諾し、念願の海外勤務に胸を膨らませた。現地で日本企業などに足を運んで事業計画書を作成し会社に提案。赴任の翌年にミャンマー支店の立ち上げが決まった。
海外で働ける道が開け本当にうれしかった。ただ上司からミャンマー行きを打診されたのは入籍のわずか3日後。話を聞いた時、結婚したばかりの妻の顔が頭に浮かんだ。
楽な道を選ぶのも、厳しくつらい道を選ぶのも自由。これまで岐路に立たされた時は必ず「いばらの道」を選んできた。困難を乗り越えた先には明るい未来が開ける。妻の理解と後押しもあり決心がついた。
夢と希望を抱き乗り込んだミャンマー。仕事は苦労の連続だった。言葉の壁もあるが相談相手がおらず孤独だった。逃げ出したいと思ったことは一度や二度ではない。それでも自分で選んだ道と言い聞かせ、明るい未来があると信じて踏みとどまった。
当時、ミャンマーで日系企業が行った舗装工事は皆無に等しく「土俵を作ってやる」と鼓舞した。日本とのギャップはとにかくすごかった。現場ではヘルメットをかぶり安全靴を履く。当たり前の安全対策も浸透していない。技術面でも日本と雲泥の差があった。安全衛生教育や技術指導を一から行い、徐々にスキルが上がっていく作業員の姿は頼もしく映った。苦楽を共にした仲間からの「ありがとうございました」という言葉に涙があふれた。
「早くミャンマーに戻ってインフラ整備に貢献したい」という思いが募る。この先どのようなことが起こっても、これまで通り「いばらの道」を選ぼうと心に決めている。
東京都内を中心に塗装工事を手掛けるカラーテクノ(東京都大田区、鈴木由美子代表取締役)が新しい女性向けユニホームの着用を開始した。「働く女性をもっとおしゃれに、美しく」をコンセプトに、鈴木代表取締役自らが現場で働く女性の要望を具現化した。ユニホームに光触媒コーティングを施し、新型コロナウイルスをはじめとするさまざまなウイルスの抗菌機能を持たせている。30回洗濯しても効果が持続するという。
一般的に建設業の作業服は男女兼用だったり、男性用のユニホームの小さいサイズを女性が着用したりするケースが多い。そのような現状を踏まえ、同社のユニホームは女性専用に製作。リボン型ポケットやフリルをあしらい、女性らしさやかわいらしさを演出した。ハート形の会社ロゴを使った華やかなファスナーがアクセントだ。
「仕事をしている時間が年間で一番多い。おしゃれなユニホームで、もっと元気に楽しく仕事をこなすことで、疲弊した社会を明るくしたい」と鈴木代表取締役。光触媒コーティングで「ウィズコロナの時代を元気に安心して乗り越える」と力を込める。
子どもの頃からプラモデルや木工作をよく作っていました。高校は普通科に進みましたが、その頃から将来はものづくりの仕事に就きたいと考えていました。大学進学時は土木と建築で迷いましたが、道路や橋など大型構造物を造りたいと思い、土木の道に進みました。卒業後は建設会社に就職しようと決めていましたが、地元の札幌から離れたくないという気持ちもありました。故郷の活性化に貢献できるものを造りたいという思いをかなえるため、札幌が本社の伊藤組土建に入社しました。
初めて配属されたのは富良野郊外のダム現場でした。入社して間もない私は当然、ダムのことも土木の仕事も分かりません。毎日のように怒られ、何もできない自分自身に腹を立てることもしばしばでした。
今の若者はつらいと感じるでしょうが、当時の私はそれ以上に早く仕事を覚えて一人前になりたいという気持ちが強くありました。先輩の叱咤(しった)激励は「裏を返せば私を早く一人前にしたいという愛情なんだ」とプラスに受け止め、とにかく一生懸命働きました。自分より経験豊富な協力会社の方や作業員の方と積極的にコミュニケーションし、多くを学ばせてもらいました。2年目から2年間担当した新千歳空港滑走路の新設工事を含め、最初の3年間はがむしゃらに仕事をしたと覚えています。
札幌以外の道内地域の現場は宿舎に泊まり込みます。当時の宿舎は2人部屋が中心で、食事も所長を筆頭に全員そろって食べていました。今の若者は嫌がるでしょうが、食事しながらお酒を飲んでいると自然に会話が弾み、現場で聞きにくい話もスムーズに聞けます。当時の私にはありがたく感じる機会でした。
若手の頃、どの現場でも所長や先輩に言われたことがあります。それは「現場をスムーズに動かすには事前の準備が一番重要」ということです。特に都市土木は最初の仮設計画が重要と教えられました。
私も40代前半で本格的に所長として仕事をするようになってから、部下には「コストが上がったとしてもその後の生産性が高まり工期も短くなるなら、仮設計画にコストをかける価値がある」と話していました。そういう考えを持ち、先々を見越して現場を進めなければ、全体の管理はできないと思います。
建設業は経験工学の部分が非常に大きく、経験しないと身に付かない側面があります。「なんとか良い品質のものを造りたい」と気持ちを込めて仕事をすると、成果品に気持ちがきちんと反映されるのです。そうした経験を繰り返していくうちに、より良いものが造れるようになると思います。仕事もスポーツなどと同じで、努力してうまくなればなるほど、やる気が出てくるものです。頑張っていればきっと面白くなる。若い人たちにはそうした気持ちを大切にして仕事と向き合ってほしいと願っています。
入社2年目、新千歳空港滑走路工事の現場を背景に |
造園職種で金賞を獲得した田子雅也さん(ものつくり大提供) |
造園職種の競技は2日間で計10時間行われた。2・5×3・5メートルの敷地で支給された材料と図面を基に、和風と洋風の要素を加味した庭園を作った。
「支給される材料は自然物なのでまったく同じものではなく、花の色、張り石の形など総合的なセンスが問われる内容だった。安全作業を心掛けているかなど姿勢も重要になる」と田子さん。群馬県立勢多農林高校の緑地土木科緑地デザインコースを卒業するなど、高校時代から造園を勉強してきた。大学の選択も「技能五輪に向けて練習ができる環境があるところを選んだ」という。
金賞に続くステップとして技能五輪世界大会への出場を目指す。「世界大会は二人一組での出場となっており、パートナーを探したい」と語る。卒業後は「建物と造園をトータルで設計・施工できる企業に入るか、独立開業を目指したい」と話す。
技能五輪全国大会は厚生労働省と中央職業能力開発協会、東京都が主催し、東京ビッグサイトを主会場に42種目が行われた。
優勝した舞鶴高専の作品(士会連合会ホームページから) |
建築教育課程のある工業高校や高校、高専の学生によるチームが対象。今回は「地域のくらし-これからの地区センター」をテーマに設定。審査委員会(委員長・片山和俊東京芸術大学名誉教授)が審査した。
舞鶴工業高専のチームは、京都府福知山市の住宅地を対象に、空き家を活用して地区センターを整備するアイデアを提案。道路側の壁を耐震上影響がない範囲で取り払い、ガラスなどをはめ込むことで道路側からにぎわいなどが見えるようにするなど工夫を凝らした。片山委員長は「平凡な郊外の町中にある住民間のコミュニケーションの在り方と建築の関係が、細やかな観察と確かな構成に基づき姿を見せ、しかもそれが個性豊かに表現されている」と講評した。
優勝以外のベスト8に選ばれた作品は次の通り。△学校名=テーマ。
準優勝:明石工業高等専門学校=水紋~響き重なるコミュニティの雫~
教育・事業本委員長特別賞:新潟県立新津工業高校=SENZIEの森(忘れられた暮らしのあり方 先人たちが創ってきた暮らしの知恵と文化)
審査委員長特別賞:青森県立八戸工業高校=伝統をのせた舟は時を流れて
青年委員長特別賞:富山県立富山工業高校=未来を創る~減築で生まれるセントラルパーク~
女性委員長特別賞:香川県立高松工芸高校=風が流れ、文化の流れを受け継ぐ
入賞:堺市立堺高校=生野区 未来を創造できる地区センター「IKUNOMIRAI」△佐賀県立嬉野高校塩田校舎=ときノ廊下 古き建物と新しき建物の融合。
建築好きな客が集まって語り合える空間を目指して2021年4月にオープンした。ル・コルビュジエの「サヴォア邸」や、フランク・ロイド・ライトの「落水荘」など国内外の名建築の模型12点を展示している。
壁面や窓面などにアート作品も配置。「今までにない建築模型とアートに触れられるクリエーティブな空間」(同社)としている。所在地は新宿区新宿3の6の7の第6三和ビル4階。詳細は同店ホームページへ。
死亡者数も34人多い274人。死亡者数の業種別割合では建設業が最大の35・2%を占め、依然として高い傾向が続いている。調査結果は1月7日時点での報告に基づき集計した。
建設業の死傷者数を事故の型別に見ると、「墜落・転落」が4518人(前年比129人増)と最も多い。次いで「はさまれ・巻き込まれ」1549人(13人増)、「転倒」1519人(9人減)、「飛来・落下」1254人(4人減)、「切れ・こすれ」1248人(73人増)の順に続く。
死亡者数の事故型別内訳は「墜落・転落」が104人(19人増)と最多。次いで「はさまれ・巻き込まれ」29人(4人増)、「崩壊・倒壊」28人(2人増)、「交通事故(道路)」24人(15人減)、「激突され」21人(7人増)の順となった。
建設業を含む全産業の死傷者数は前年より2万0689人多い13万5358人。死亡者数は61人少ない779人だった。
1949年1月26日に法隆寺金堂(奈良県斑鳩町)の壁画が火災で焼損したのを受け、両庁が同日を文化財防火デーに定めた。毎年同日前後に、火災や震災などの災害から守るための防災活動や広報・啓発活動を実施。訓練だけでなく、文化財に指定される建造物への立ち入り検査なども実施。「伝統的建造物群保存地区」などの周辺住民への防火・防災指導も行う。
68回目となる今年の文化財防火デーでは、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮、東京都港区)と瑞龍寺(富山県高岡市)で行われる消防訓練の様子を両庁の幹部が視察する。1日時点で国宝指定の建造物は228件(291棟)、重要文化財は2530件(5253棟)に上る。
多摩川スカイブリッジは羽田空港周辺や京浜臨海部の活性化で重要なインフラになる (東京都提供) |
大田区羽田空港2と川崎市川崎区を結ぶ橋梁建設は2016年度に始まった。台船を使って橋桁を川の上から設置する方法や手延べ機を使った送り出し工法、クレーンで1ブロックずつ張り出す方法で施工した。最大の危機は19年9月の台風来襲。もともと川底が浅かったが「川上から石や砂が運ばれて川底がさらに浅くなった」(都担当者)。主力工法を担う台船の航行が難しくなり、工事が一時ストップした。浚渫工事をはさんで再開したが工期が1年ほど後ろ倒しになる要因にもなった。この時の台風は千葉県のゴルフ練習場の鉄柱を倒壊させるなど関東地方に甚大な被害をもたらした。
今月下旬~2月上旬に完成し、3月12日に車両や人が通れるようになる。多摩川に架かる橋の中で一番河口に近く、延長は約675メートルある。幅は17・3~21・3メートル。2車線の車道(幅7・5メートル)と、車道の両脇に歩道・自転車道(幅4・9メートル)が通っている。
両岸の地域は国家戦略特区に指定されている。都側には京急空港線と東京モノレールの「羽田空港第3ターミナル駅」と、大規模複合施設などがある「羽田グローバルウイングズ」が、川崎市側には医療系の研究機関が集まる「キングスカイフロント」が広がる。
これまで多摩川の最河口部にあった橋は多摩川スカイブリッジから約2キロ上流にある「大師橋」だった。渋滞も多く、第3ターミナル駅からキングスカイフロントには車で15~20分かかっていた。新たな橋だと1分ほどで渡ることができる。
橋は羽田空港第3ターミナル駅に近接する |
多摩川スカイブリッジ架設は東京都と川崎市が事業主体となり、約300億円を投じた。五洋建設・日立造船・不動テトラ・横河ブリッジ・本間組・高田機工JVが設計・施工を手掛けている。
県幹部や県議会議員、神戸市をはじめ被災市町など招待者約250人のほか一般来場者が多数参列。震災の経験と教訓を次世代に引き継ぎ、「災害文化」の定着に向かって心を一つにしていくことを誓い合った。
安全の日のつどいのテーマは「震災を風化させない-『忘れない』『伝える』『活かす』『備える』」。今年はコロナ禍のため、恒例のメモリアルウオークなどを中止して開催。「人と防災未来センター」慰霊のモニュメントに設けられた献花台を前に、午前11時50分に式典が開始。藤本百男兵庫県議会議長による開会の言葉に続いて、正午の時報とともに神戸市立渚中学校の生徒らが「カリヨンの鐘」を打ち鳴らし、犠牲者に黙とうをささげた。
主催者代表の齋藤元彦兵庫県知事は「あの日から四半世紀を超える歳月が過ぎ、街の傷跡は目立たなくなったが、震災を経験していない世代が増え、記憶の風化が懸念されている。われわれは震災の経験と教訓を発信し、次なる災害に備えるため、ハード・ソフト両面から防災・減災対策に取り組んでいかなければならない。新しい時代を切り開く『躍動する兵庫』の実現に向かって県民の皆さんと共に歩んでいく」と決意を語った。続いて来賓の小寺裕雄内閣府政務官が「多くの災害から国民の生命や財産、生活を守り、安心して暮らせる社会の実現に向かって全力で取り組んでいく」と述べた。この後、県立舞子高校環境防災科3年の桑田優葵さんら地元の小中高生がメッセージを披露。続いて神戸市立なぎさ小学校の児童らが被災者を勇気付ける曲「しあわせ運べるように」を合唱した。
最後に人と防災未来センターの河田惠昭センター長が「震災の教訓はすべての時代に通じる知恵だから」と「ひょうご安全の日宣言」を読み上げ、参列者が献花台に花をささげた。
昨年末、大学時代の友人と久々に会った。話題は仕事の話がほとんど。学生の就職活動も支援している大手人材会社に勤めていると知り、業界の人気、不人気を聞いてみた◆友人によるとIT業界が圧倒的に人気という。続いてメーカー、商社、金融…。建設業は話題にすらならない。工業高校や工学部卒の学生は機械や自動車の大手メーカーに集まるのが実情だ。女子学生の多くは金融業界に流れるとも教えてくれた。不人気の理由は3K(きつい・汚い・危険)の印象が強いからだ。さらには給料が安い、休暇が少ない、かっこ悪いが加わった「6K」なる言葉まであるらしい◆休日に建築学部の学生と面談があるというので同席させてもらった。「建築は好きだけど仕事にしたくないです。嫌いになりそうだから」。なるほど、かつて工事会社にいた身として思い当たる節がある。そんな彼もメーカー志望だ◆ある業界団体会長から「ぜひ学生へのアピールも」と言われ専門紙記者の役割を再認識した。建設好き学生が業界に一歩踏み出してくれるにはどうすればいいのか--。学生を意識した記事を心掛けてみよう。(駿)
「成長に向けて果敢に挑戦する企業と、それらを投資によって支えるという好循環を形成することこそが目指すゴールだ。選択結果の公表は、持続的な成長と中長期的な企業価値向上に向けた長い道のりのスタートラインだ」。東証の山道裕己社長は、東京・日本橋兜町の東証アローズでこう訴えた。
今回の再編では従来の1部や2部、マザーズを▽プライム▽スタンダード▽グロース-の3市場に変更する。プライム市場は世界経済をリードしていく企業のための市場と設定。流通株式時価総額100億円以上や、流通株式比率35%以上などが求められる。より高いガバナンス水準を備え、投資家との建設的な対話の実践や持続的な成長に向けた積極的な取り組みが期待される。市場再編と並行してコーポレートガバナンスコードも改定された。プライム市場では、3分の1以上の独立社外取締役選任や、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)または同等の国際的枠組みに基づく気候変動開示の質と量の充実など一段高い原則が適用される。
3月期決算会社は、移行後に開催される株主総会が終わった7月ころに、改訂コードに基づくコーポレートガバナンス報告書を提出する流れとなる。実施の有無や実施しない場合にはその理由を説明する「コンプライ・オア・エクスプレイン」の開示を見据えて、事業ポートフォリオの積極的な見直しや親子上場の解消などの動きも進む。
プライム市場への移行を選択しているものの、基準に適合していない企業は296社あった。今回の市場再編では、上場維持基準適合に向けた計画書を作成して、同計画書に基づく進捗(しんちょく)状況の開示を行うことを条件に、経過措置として緩和された基準が適用される。経過措置の終了時期は未定。
適合できていない理由を見ると、流通株式時価総額が217社で最も多く、1日平均売買代金は84社、流通株式比率が36社だった。流通株式時価総額はマーケットからの評価に委ねられるため、正攻法で企業価値を高めていくほかない。流通株式時価総額の適合に向けた計画期間は多くが2~5年を想定している。
建設産業関連では松井建設や大末建設、イチケン、四電工、朝日工業社、駒井ハルテック、オオバ、ジェコスらが同計画書を開示済みだ。収益力強化や成長分野への投資による企業価値向上、DX(デジタルトランスフォーメーション)による収益性改善、IR活動の活性化などの取り組みが挙げられている。
スタンダード市場は、一定の時価総額を持ち、基本的なガバナンス水準を備えつつ、持続的な成長と中長期的な企業価値の向上にコミットする企業向けが対象。企業活動を通じた地域経済の活性化や国内の雇用拡大などが期待されている。建設業に分類される企業は62社だった。
全体で見ると、1部上場会社のうち344社が、最適な市場区分としてスタンダードを選んだ。建設産業関連では、明豊ファシリティワークスや錢高組、佐田建設、ナカノフドー建設、富士ピー・エス、北野建設、植木組、日本基礎技術、巴コーポレーション、三谷セキサン、エーアンドエーマテリアル、東洋シヤッター、三洋工業、ERIホールディングス、丸紅建材リース、いであらが、1部からスタンダード市場への移行を選択。理由には、現在の事業規模や、プライム市場の上場維持基準への非適合などが挙げられた。
新たな挑戦を重ねていくベンチャーらを対象としたグロース市場にも、建設業分類から7社が移行する。
山道社長は、今回の選択結果を「上場会社の企業価値向上に向けた決意表明」と表現し、投資家や市場関係者らに「上場会社の変化に注目してほしい」と呼び掛けた。新たな市場区分で成長戦略をどう描いていくのか。各社の挑戦が試されることになる。
施設の完成イメージ(報道発表資料から) |
同グループは「ひろしまモビリティゲート~アジア圏随一のモビリティ・エンターテインメントの聖地」をコンセプトに、屋内での電気自動車(EV)カートレースや球体スクリーンによるVR(仮想現実)コンテンツ、フォーミュラーカレッジといったモビリティを中心に体験提供を行う。次世代モビリティの実証実験など最先端モビリティ研究にも活用できるプランを提案している。
現広島FMP開発事業用地の利活用については、昨年7月に公募型プロポーザルで事業提案を公募。3グループから提案された事業計画などを選定委員会で審査し選定した。次点事業予定者は「海マチみらいグループ」(構成員はみどりホールディングス〈代表企業〉、マリーナホッププロパティ、第一ビルサービス、広島まちづくりファンド)。
事業予定者の「ひろしまモビリティゲート(仮称)」は、「アジア圏随一の“モビリティ・エンターテインメントの聖地”」をコンセプトに、屋内でのEVカートレースなどモビリティを中心とした体験の提供、カーディーラー・飲食店などのテナントの導入、アウトドアアクティビティで活用できる緑地の設置、野外イベントの実施により、新たな観光名所として、国内外から観光客を呼び込み、MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)や次世代モビリティの実証実験など最先端のモビリティ研究にも活用する。
施設計画では、対象用地10万5446平方メートルを一体的に利用。中央・東(自然、環境との調和)・西(触れる、選ぶ、買う)・北(リアルなモビリティ体験)の四つのエリアに区分。中央エリアにA棟(最先端の体験型エンターテインメント)、B棟(最先端のモビリティ研究サービス)を建設。A棟にEVカートコース・シミュレーターエリア・VRエリア(巨大VR体験)・テナント・飲食・ショップなど、B棟にはテナント・飲食・ショップ・最新技術研究・プロガレージ(ワークショップ、レーシングカー整備)などを配置する。
東エリアにはレストラン・カフェ・グランピング・バーベキューサイト・遊歩道、モビリティ棟の西エリアには自動車ディーラー・二輪車ディーラー・カスタムショップ・イベント会場などを配置する。北エリアには多目的サーキット広場・ガレージ棟を設け、新車中古車の試乗・最先端実験などを行う。賃貸契約期間は31年、概算事業費は96億9966万3000円と試算、年間200万人超の集客を見込む。
富士山の麓、静岡県富士市で生まれ育った。家の近くに富士川が流れ、いつの間にか「将来は川に携わる仕事に就きたい」と思うようになった。
入庁して7年。国土交通省関東地方整備局の荒川下流河川や利根川上流河川といった出先事務所、本局を経て2021年度の係長昇進と同時に荒川上流河川事務所西浦和出張所へ異動した。今は河川の改修や維持管理の工事を担当している。工務や沿川開発の経験はあったものの、監督員の立場に就くのは初めて。計7カ所の工事を担当するのは「スケジュール管理が大変」と言うが、日々進んでいく工事を監督するのは「とてもやりがいのある仕事」と話す。
「現場からの問い合わせなどに対し早く回答を返す」ことをいつも心掛けている。「素早く判断し的確な回答ができるようになる」には知識と経験が何より大切。先輩や上司に教えてもらいながら「場数を踏み、常に勉強したい」と前を向く。
本局の企画部技術管理課で積算基準の改定などに携わった。河川以外にも幅広い知識が求められ、他の整備局と調整も必要になる。「責任を感じる仕事で大変だったがとても勉強になった」と振り返る。
休日は読書やゲーム、動画配信サイトなどを見て過ごす。コロナ禍で外出する機会は減ったが、オンライン飲み会で友人と話すのが楽しみと笑う。
(西浦和出張所管理第二係長、いとう・ゆうり)
思うように進められなかった会議進行。悔しさや先輩の助言を成長の糧にした |
長野太郎さん(仮名)は東北地方にある建設業団体の事務局で職員として働いている。入職して11年目。今は事業部と総務部を兼務し、会議や講習会の開催準備、助成金の申請・報告、行政機関に提出する書類の作成など、幅広い仕事を任されている。
25歳の時に転職し団体職員の仕事に就いた。幼少の頃から建物が造られていく過程や建物自体を眺めるのが好きだった。建設業に関わる仕事がしたいと思った時、職員募集の話を耳にした。
転職当初は、聞き慣れない建設機械の名称や資格の種類などを覚えることに四苦八苦した。さまざまなことを少しずつ覚え、仕事に慣れ始めた頃、青年部の会議進行を任されるようになった。
担当し始めた当初は「どのような資料を用意すればいいか」「どうすれば資料の内容が分かりやすく伝わるのか」、疑問や不安が十分に解消できないまま会議に臨むことがたびたびあった。資料や説明のボリュームが足らず、あっという間に終わってしまう会議。「出席するため各地から時間を割いて集まった参加者に申し訳ない」という思いが募った。会議の進行が思うようにいかず、知識の浅さや経験の足りなさを痛感した。
会議には先輩の職員も同席していたが、いつも進行を任された。ある時、思い切って悩みを相談してみると、「自分で考え、自分の言葉で伝えれば自然とつかめる。教えられたものをそのまま言ってしまえば、その場しのぎの対応になる。経験あるのみだから悩まなくても大丈夫」という答えが返ってきた。胸のつかえが取れたような気がした。教えられる立場から後輩たちに教える立場に変わった今、先輩が掛けてくれた言葉の意味がより分かるようになった。
今の職場で働き始めてすぐ、東日本大震災が起こった。災害の発生直後は被害の大きかった場所を訪れることが難しく、メディアの情報も限られた。それでも先輩職員らと一緒に、できる範囲で被災地の視察や壊れた重機の集計などに当たった。
無我夢中で仕事をしていた時、目の当たりにしたのが生まれ育った地域の復旧・復興に奮闘する会員企業の姿だった。現場の最前線に立つ各社の社員や作業員は、ほぼ全員が自らも被災した。それでも「地域のために」と死力を尽くす姿に心を打たれた。「地域に根付いた建設業者の必要性や重要性」を実感した。
東北エリアの建設業を取り巻く環境は厳しく、先行きを楽観できる状況にはない。転換期の渦中にあるともいえる。会員企業のためにできることは何か。自分の役割を果たしながら、後に続く後輩のために「日々勉強の姿勢を崩さず前に進み続けたい」。明るい未来を築くためにも若い世代に「少しでも建設業に興味があればぜひ挑戦してもらいたい」と思っている。
ジャケットがキャメル、シャツはネイビーの色合いが目を引く |
複数の候補で試着期間を設け、社内で検討した。今後は企業説明会などで着用し、企業PRに活用していく。
ジャケットのポケットは野帳やスマートフォンが出し入れしやすい形にした。足場での動きやすさに配慮し、ズボンはストレッチの効いた生地を採用した。以前のユニホームは男女でジャケットの色を分けていたが、リニューアル後はキャメルに統一した。
紫のユニホームは「少し恥ずかしい場面もあった」という社員の声もあったという。新調後は「仕事でも美しく、快適に着用できるものを目指した。自信を持って仕事に向かえることはプラスと感じている」(同社社員)とやりがいアップにもつながっているようだ。
高校生の時、学校で行われていた校舎の増築工事を見て「かっこいい」と思ったのが建設業を志したきっかけです。迷わず建築学科のある大学に進学し、就職先はゼネコンと決めていました。
古久根建設に入社し初めて担当したのは東京都日野市の小学校新築工事でした。大学時代に空手部で心身を鍛えたこともあり、現場で体を動かすことや上下関係は全く苦になりませんでした。むしろ毎日が合宿のようで楽しかったです。工期が短く忙しい現場でしたが、泣き言を口にする人は誰もいません。こんなに仕事に打ち込む若者が集まる世界があるのだと、正直驚きました。
翌年春に東京都内の民間オフィスビル建設工事に携わりました。重要な業務は任せてもらえませんでしたが、分からないながらも与えられた仕事を懸命にこなし、ノウハウを頭にたたき込みました。工事の進捗(しんちょく)は現場監督の力量で大きく変わります。作業員に無理な指示を出せば目標は達成できません。逆に指示を怠れば生産性が落ちます。作業員の声や要望に耳を傾け、現場運営に生かす大切さを学びました。
次の配属は都内にある専門学校の建設工事でした。3年目になると「早く所長になりたい」という思いが強くなりました。所長は偉くてかっこいい雲の上の存在。当然知識も求められます。まず施工図がうまく描けるよう必死に勉強しました。同じように見える図面も描く人の技量で全く違います。上手な先輩の現場を訪れ図面のコピーをもらい、ノウハウを盗みながら腕を磨きました。仮設計画も同じです。安全で気持ち良く仕事をしてもらうにはどうすればよいかと大手建設会社の現場を見学したり、他社に勤務する同級生に教えを請うたりもしました。
所長になったのは入社9年目。埼玉県内の学生マンション新築工事でした。自信満々でスタートしたものの、仕事のペース配分が分からず突っ走ってしまいました。家に帰らず事務所で朝を迎えたことも多く、家族に心配をかけました。2件目以降は徐々にペース配分をつかみ、余裕を持って物事を考え行動するようになりました。
40代半ばまで携わった現場人生で「協力業者を大切にする」ことを常に意識していました。甘やかすのではなく、気持ち良く働け活躍できる職場環境を提供する。困った時、協力業者さんが助けに来てくれる信頼関係を築ける所長は本当に強い。私も心掛けていましたし、後輩にもそうなってほしいと期待しています。
建設業は本当にやりがいがある仕事です。若手には仕事を楽しんでほしいと思います。もちろん楽しいことばかりではありません。少しの我慢と勉強をぜひ続けてほしい。所長になればオーケストラの指揮者のように自分の采配で思い通りに建物ができあがっていく。やりがいや楽しさが味わえるはずです。
約20年前、同期会で行った旅行先で(左端が本人) |
〈プライム〉
▽ショーボンドホールディングス(1414)▽ミライト・ホールディングス(1417)▽第一カッター興業(1716)▽安藤ハザマ(1719)▽東急建設(1720)▽コムシスホールディングス(1721)▽高松コンストラクショングループ(1762)▽オリエンタル白石(1786)▽大成建設(1801)▽大林組(1802)▽清水建設(1803)
▽飛島建設(1805)▽長谷工コーポレーション(1808)▽松井建設(1810)▽鹿島(1812)▽不動テトラ(1813)▽大末建設(1814)▽鉄建建設(1815)▽西松建設(1820)▽三井住友建設(1821)▽大豊建設(1822)▽奥村組(1833)▽東鉄工業(1835)▽イチケン(1847)
▽淺沼組(1852)▽戸田建設(1860)▽熊谷組(1861)▽矢作建設工業(1870)▽ピーエス三菱(1871)▽NIPPO(1881)▽東亜道路工業(1882)▽日本道路(1884)▽東亜建設工業(1885)▽日本国土開発(1887)▽若築建設(1888)▽東洋建設(1890)▽五洋建設(1893)
▽世紀東急工業(1898)▽福田組(1899)▽住友林業(1911)▽大和ハウス工業(1925)▽ライト工業(1926)▽積水ハウス(1928)▽日特建設(1929)▽ユアテック(1934)▽日本リーテック(1938)▽四電工(1939)▽中電工(1941)▽関電工(1942)▽きんでん(1944)▽トーエネック(1946)▽住友電設(1949)▽日本電設工業(1950)
▽エクシオグループ(1951)▽新日本空調(1952)▽九電工(1959)▽三機工業(1961)▽日揮ホールディングス(1963)▽高砂熱学工業(1969)▽朝日工業社(1975)▽明星工業(1976)▽大気社(1979)▽ダイダン(1980)▽日比谷総合設備(1982)▽インフロニア・ホールディングス(5076)▽東洋エンジニアリング(6330)
〈スタンダード〉
▽JESCOホールディングス(1434)▽技研ホールディングス(1443)▽太洋基礎工業(1758)▽工藤建設(1764)▽富士古河E&C(1775)▽三井住建道路(1776)▽ETSホールディングス(1789)▽大本組(1793)▽マサル(1795)▽守谷商会(1798)▽第一建設工業(1799)
▽佐藤渡辺(1807)▽錢高組(1811)▽佐田建設(1826)▽ナカノフドー建設(1827)▽田辺工業(1828)▽土屋ホールディングス(1840)▽大盛工業(1844)▽富士ピー・エス(1848)▽南海辰村建設(1850)▽森組(1853)▽北野建設(1866)▽植木組(1867)
▽大成温調(1904)▽日本基礎技術(1914)▽巴コーポレーション(1921)▽弘電社(1948)▽サンテック(1960)▽テクノ菱和(1965)▽千代田化工建設(6366)
〈プライム〉
▽日本工営(1954)▽E・Jホールディングス(2153)▽ヒューリック(3003)▽野村不動産ホールディングス(3231)▽東急不動産ホールディングス(3289)▽宮地エンジニアリンググループ(3431)▽川田テクノロジーズ(3443)▽シーアールイー(3458)▽プロパティエージェント(3464)▽昭和電工(4004)▽東ソー(4042)
▽トクヤマ(4043)▽セントラル硝子(4044)▽エア・ウォーター(4088)▽積水化学工業(4204)▽アイカ工業(4206)▽宇部興産(4208)▽Sansan(4443)▽大日本塗料(4611)▽日本ペイントホールディングス(4612)▽関西ペイント(4613)▽オリエンタルランド(4661)▽ニチレキ(5011)▽ENEOSホールディングス(5020)▽AGC(5201)
▽住友大阪セメント(5232)▽太平洋セメント(5233)▽日本ヒューム(5262)▽日本コンクリート工業(5269)▽TOTO(5332)▽ニチアス(5393)▽日本製鉄(5401)▽JFEホールディングス(5411)▽三菱マテリアル(5711)▽古河電気工業(5801)▽住友電気工業(5802)▽横河ブリッジホールディングス(5911)▽駒井ハルテック(5915)▽三和ホールディングス(5929)▽文化シヤッター(5930)▽三協立山(5932)▽LIXIL(5938)
▽岡部(5959)▽ナブテスコ(6268)▽コマツ(6301)▽住友重機械工業(6302)▽日立建機(6305)▽クボタ(6326)▽月島機械(6332)▽ダイキン工業(6367)▽フジテック(6406)▽新晃工業(6458)▽日立製作所(6501)▽三菱電機(6503)▽明電舎(6508)▽沖電気工業(6703)▽能美防災(6744)
▽横河電機(6841)▽アズビル(6845)▽遠藤照明(6932)▽三井E&Sホールディングス(7003)▽日立造船(7004)▽IHI(7013)▽極東開発工業(7226)▽KYB(7242)▽大建工業(7905)▽イトーキ(7972)▽日本ユニシス(8056)▽内田洋行(8057)▽サンゲツ(8130)▽三井不動産(8801)▽三菱地所(8802)▽平和不動産(8803)▽東京建物(8804)▽住友不動産(8830)
▽明和地所(8869)▽ゴールドクレスト(8871)▽東武鉄道(9001)▽相鉄ホールディングス(9003)▽東急(9005)▽京浜急行電鉄(9006)▽小田急電鉄(9007)▽京王電鉄(9008)▽京成電鉄(9009)▽富士急行(9010)▽JR東日本(9020)▽JR西日本(9021)▽JR東海(9022)▽西武ホールディングス(9024)
▽TREホールディングス(9247)▽人・夢・技術グループ(9248)▽メタウォーター(9551)▽建設技術研究所(9621)▽カナモト(9678)▽西尾レントオール(9699)▽日本空港ビルデング(9706)▽乃村工芸社(9716)▽丹青社(9743)▽応用地質(9755)▽オオバ(9765)▽福井コンピュータホールディングス(9790)▽ジェコス(9991)
〈スタンダード〉
▽明豊ファシリティワークス(1717)▽オリエンタルコンサルタンツホールディングス(2498)▽ケー・エフ・シー(3420)▽川崎地質(4673)▽構造計画研究所(4748)▽旭コンクリート工業(5268)▽チヨダウーテ(5387)▽元旦ビューティ工業(5935)▽東洋シヤッター(5936)▽不二サッシ(5940)
▽ERIホールディングス(6083)▽FCホールディングス(6542)▽DNホールディングス(7377)▽丸藤シートパイル(8046)▽ダイビル(8806)▽明豊エンタープライズ(8927)▽新京成電鉄(9014)▽パスコ(9232)▽アジア航測(9233)▽丸紅建材リース(9763)▽いであ(9768)
〈グロース〉
▽スパイダープラス(4192)。
トーチタワー(中央)の完成イメージ(報道発表資料から) |
高さ約300メートルの高層部に約50戸導入する方針。住戸の広さは70~400平方メートル台となる。トーチタワーは2023年度に着工し、27年度の竣工を目指している。同社によると、住宅機能の導入はコロナ禍前から検討していた。大丸有エリアに不足している住機能を補い、一帯の価値を高める狙いがある。
トーチタワーは大規模再開発事業「TOKYO TORCH(トウキョウトーチ)」の一環として整備する。63階建て延べ約54万平方メートル、高さ約390メートルの規模となる。オフィスや高級ホテル、ホールなどが入る。
上場企業のコンセプトをより明確にする狙いから従来の1部や2部、マザーズを▽プライム市場▽スタンダード市場▽グロース市場-に再編する。プライム市場は流通株式時価総額100億円以上、流通株式比率35%以上などの条件を満たし、海外も含めてさまざまな投資家と建設的に対話しながら企業価値向上を図る企業を対象とする。
スタンダード市場は、十分な流動性とガバナンス水準を備えた企業向けの市場で、流通株式時価総額10億円以上、流通株式比率25%以上となる。グロース市場は、今後の成長が期待されるベンチャー向けマーケットという位置付けだ。
従来の区分は各市場のコンセプトが曖昧になっていることなどが課題となっていた。各企業の経営方針を踏まえつつ上場企業の中長期的な価値向上などにつなげるため、市場区分を見直す。
再整備後のイメージ(報道発表資料から) |
事業では約14ヘクタールの公園のうち約10・2ヘクタールを再整備する。敷地の東側に遊具などを備える園地(区域面積4万8100平方メートル)と、レストランなどのにぎわい施設(3棟総延べ2012平方メートル)を配置。イルカやシャチを飼育する水族館(3棟総延べ2万2271平方メートル)を中央に整備する。二酸化炭素(CO2)の排出削減や感染対策などに向けた新技術を導入予定だ。
西側には地産地消をテーマにした「価値体験型ホテル」(7階建て延べ7312平方メートル)と駐車場(計1110台)を整備する。駐車場は23年5月、園地とにぎわい施設は同9月、水族館とホテルは24年春の竣工を予定している。
神戸市は再整備に当たり、Park-PFI(公募設置管理制度)を導入。19年にサンケイビルが代表のグループを選出した。構成員は▽三菱倉庫▽JR西日本不動産開発▽竹中工務店▽阪神電気鉄道▽芙蓉総合リース▽グランビスタ ホテル&リゾート-の6社。
保管庫は震災の記憶を後世に伝えようと1999年に開設。RC製や鋼製の橋脚、橋桁、支承など34点を展示するほか、阪神高速の被害状況や復旧までの道のりを写真やパネルで紹介している。
昨年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止。例年は予約不要だが、今年は事前登録制にして実施した。見学者は昼夜を問わず復旧作業に当たった当時の映像を見た後、亀裂の入った橋脚や大きくゆがんだ橋桁などを見学した。
震災当時、阪神高速道路公団職員だった坂下泰幸さんの講演も行われ、日本では明治以降、地震被害を受けながら新技術が開発されてきたことを紹介。「普段から研究を続けるといざというときに役に立つ。今後も知見を蓄積すべきだ」と強調した。
この日は宮城県気仙沼市で語り部活動をしている気仙沼向洋高校元非常勤講師の芳賀一郎さんによる講演も行われ、身を守るための「自助力向上」の重要性などを説いた。
施設の完成イメージ(報道発表資料から) |
チャリ・ロトの提案によると、広島競輪場(南区宇品海岸3、区域面積6万7371平方メートル)を、競輪とアーバンサイクルスポーツが融合する市民参加型都市公園「アーバンサイクルパークス広島」として宇品地区の新たなシンボル施設に再生する。対象用地を公園エリア・中核エリア・アーバンサイクルスポーツパーク・拡張エリアの四つのエリアに設定し、来場者数の変化に柔軟に対応する。拡張エリアは大規模イベント時の駐車場として活用するほか、本格的なBMXレースを誘致する際の会場として位置付ける。
主な施設として、約7500人を収容する競輪場、選手宿舎兼ホテル、BMX施設、キックバイクコースや遊具などを設置したキッズエリア、芝生広場、レストランなどを整備する。事業費は11億9962万7000円を想定。4月~2023年3月を設計に充てる。同1月~25年3月に解体・再整備し、同4月の業務開始を目指す。