2022年1月26日水曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・306

「舗装工事の基礎を作ってやろう」。強い意気込みでミャンマー赴任を決めた

 ◇自分の成長へ“いばらの道”を◇ 

 「舗装工事の基礎、土俵を作ってやる」。道路舗装会社に勤める倉園雄真さん(仮名)は、アジア最後のフロンティアと呼ばれたミャンマーに7年前赴任した。鹿児島で建設会社を営む父の背中を見て育った。尊敬する父の会社で働く選択肢もあったが「広い視野で仕事をしたい」という思いが強く、東京の大学で土木を一から学ぶ決心をした。父は「自分で決めた道をひたすら進め」と背中を押してくれた。

 2021年2月に突如起きたクーデター。工事が中断し帰国を余儀なくされたが、「ミャンマーに戻って仕事をしたい」との思いがある。もどかしさを感じつつ、遠く離れた日本から現地技術者の育成や採用活動などに携わっている。

 会社に入ってから千葉県などで舗装工事に携わった。転機は入社4年目に担当した米軍基地内のグラウンド整備工事だった。アメリカ人の技術者と食住を共にしているうちに、それまでなかった感情が芽生え始めた。「海外で仕事がしたい」。だが勤めている会社に海外支店はなく、諦めるしかなかった。

 転機はある日突然訪れた。上司からミャンマー商工会議所への出向を打診された。建設業以外の仕事をこなしつつ市場調査を行うのが業務内容だった。出向を快諾し、念願の海外勤務に胸を膨らませた。現地で日本企業などに足を運んで事業計画書を作成し会社に提案。赴任の翌年にミャンマー支店の立ち上げが決まった。

 海外で働ける道が開け本当にうれしかった。ただ上司からミャンマー行きを打診されたのは入籍のわずか3日後。話を聞いた時、結婚したばかりの妻の顔が頭に浮かんだ。

 楽な道を選ぶのも、厳しくつらい道を選ぶのも自由。これまで岐路に立たされた時は必ず「いばらの道」を選んできた。困難を乗り越えた先には明るい未来が開ける。妻の理解と後押しもあり決心がついた。

 夢と希望を抱き乗り込んだミャンマー。仕事は苦労の連続だった。言葉の壁もあるが相談相手がおらず孤独だった。逃げ出したいと思ったことは一度や二度ではない。それでも自分で選んだ道と言い聞かせ、明るい未来があると信じて踏みとどまった。

 当時、ミャンマーで日系企業が行った舗装工事は皆無に等しく「土俵を作ってやる」と鼓舞した。日本とのギャップはとにかくすごかった。現場ではヘルメットをかぶり安全靴を履く。当たり前の安全対策も浸透していない。技術面でも日本と雲泥の差があった。安全衛生教育や技術指導を一から行い、徐々にスキルが上がっていく作業員の姿は頼もしく映った。苦楽を共にした仲間からの「ありがとうございました」という言葉に涙があふれた。

 「早くミャンマーに戻ってインフラ整備に貢献したい」という思いが募る。この先どのようなことが起こっても、これまで通り「いばらの道」を選ぼうと心に決めている。

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