2022年1月17日月曜日

【駆け出しのころ】古久根建設取締役建設本部長・真崎伸一氏

  ◇建設業は「かっこいい」◇

 高校生の時、学校で行われていた校舎の増築工事を見て「かっこいい」と思ったのが建設業を志したきっかけです。迷わず建築学科のある大学に進学し、就職先はゼネコンと決めていました。

 古久根建設に入社し初めて担当したのは東京都日野市の小学校新築工事でした。大学時代に空手部で心身を鍛えたこともあり、現場で体を動かすことや上下関係は全く苦になりませんでした。むしろ毎日が合宿のようで楽しかったです。工期が短く忙しい現場でしたが、泣き言を口にする人は誰もいません。こんなに仕事に打ち込む若者が集まる世界があるのだと、正直驚きました。

 翌年春に東京都内の民間オフィスビル建設工事に携わりました。重要な業務は任せてもらえませんでしたが、分からないながらも与えられた仕事を懸命にこなし、ノウハウを頭にたたき込みました。工事の進捗(しんちょく)は現場監督の力量で大きく変わります。作業員に無理な指示を出せば目標は達成できません。逆に指示を怠れば生産性が落ちます。作業員の声や要望に耳を傾け、現場運営に生かす大切さを学びました。

 次の配属は都内にある専門学校の建設工事でした。3年目になると「早く所長になりたい」という思いが強くなりました。所長は偉くてかっこいい雲の上の存在。当然知識も求められます。まず施工図がうまく描けるよう必死に勉強しました。同じように見える図面も描く人の技量で全く違います。上手な先輩の現場を訪れ図面のコピーをもらい、ノウハウを盗みながら腕を磨きました。仮設計画も同じです。安全で気持ち良く仕事をしてもらうにはどうすればよいかと大手建設会社の現場を見学したり、他社に勤務する同級生に教えを請うたりもしました。

 所長になったのは入社9年目。埼玉県内の学生マンション新築工事でした。自信満々でスタートしたものの、仕事のペース配分が分からず突っ走ってしまいました。家に帰らず事務所で朝を迎えたことも多く、家族に心配をかけました。2件目以降は徐々にペース配分をつかみ、余裕を持って物事を考え行動するようになりました。

 40代半ばまで携わった現場人生で「協力業者を大切にする」ことを常に意識していました。甘やかすのではなく、気持ち良く働け活躍できる職場環境を提供する。困った時、協力業者さんが助けに来てくれる信頼関係を築ける所長は本当に強い。私も心掛けていましたし、後輩にもそうなってほしいと期待しています。

 建設業は本当にやりがいがある仕事です。若手には仕事を楽しんでほしいと思います。もちろん楽しいことばかりではありません。少しの我慢と勉強をぜひ続けてほしい。所長になればオーケストラの指揮者のように自分の采配で思い通りに建物ができあがっていく。やりがいや楽しさが味わえるはずです。

約20年前、同期会で行った旅行先で(左端が本人)

 (まさき・しんいち)1983年千葉工業大学工学部建築学科卒、古久根建設入社。2013年建築部長、15年執行役員建築部長、16年同建設本部副本部長、19年取締役建設本部副本部長。21年7月から現職。神奈川県出身、61歳。

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