◇いずれ役に立つ時が来る◇
大学の研究室では交通工学を勉強しました。ゼネコンを就職先に選んだのは、「全国だけでなく世界のいろいろな所に行ける」と考えたからです。当時の不動建設(現不動テトラ)は海外事業も積極的に展開していました。
最初に配属されたのは地盤改良事業を扱う特殊工法事業本部の研究室です。新人で地盤について深い知識があるわけでもなく、研究室で飛び交う専門用語を聞いた時はびっくりしました。新人の頃は「これはまずい」と相当に焦っていたと思います。建築の仕事をしていた父が、私が家に帰ってきても土質工学の教科書を開いていると知り、「会社人生は長いんだから、焦らず少しずつやっていけばいい」と言ってくれたのを覚えています。
東京本社の勤務でしたが、大変に忙しい部署であり、入社1年目から支店や現場の設計支援でよく出張していました。出張と言っても泊まるところは会社の寮です。夜に仕事を終えると、テレビもなく布団だけある部屋に帰って眠り、翌朝にまた仕事に行く。これが1カ月近くに及ぶこともありました。
入社して3年間は同じ部署に後輩が入らず、宴会の段取りなどあらゆる雑用が自分に集中していたため、「他にもやることがいっぱいあるのに」とぼやいてしまったことがあります。この時に先輩から言われたのが「『若い時の苦労は買ってでもせよ』という言葉があるように、後で役に立つから頑張れ」でした。
大学との共同研究にも携わりました。続いて大規模な海上工事の現場を担当させていただき、ここで設計と現場の関係を身をもって知ったことも大変貴重な経験になりました。
1990年代半ばには、JV施工の発電所工事に設計課長として携わります。申請関係がうまく進まないなどでかなりしんどい時期があり、体調を崩して点滴を打ったこともありました。でも、任された仕事だったので何とかやり遂げたいという思いが強く、今でもそれを乗り越えられたことは大きかったと思っています。
大阪への転勤を経て東京に戻り、かつて地盤改良を手掛けた場所に造られた高速道路を初めて車で走った時は本当に感動しました。運転しながら思わず叫び声を上げてしまったほどです。
新入社員研修などでは「何でも吸収しなさい」と話しています。自ら「これは関係ない」などとフィルターをかけてしまわず、社会や会社で見たり聞いたりするいろいろなことを吸収していってほしいと期待します。かつて私が先輩から言われたように、その時には分からないかもしれませんが、若い時に経験したことは、いずれ役に立つはずです。
(おおばやし・じゅん)1984年横浜国大工学部土木工学科卒、不動建設(現不動テトラ)入社。ジオ・エンジニアリング事業本部技術統轄部第一研究室長、不動テトラ東京本店第二営業部長、地盤事業本部技術部長などを経て、16年4月から現職。工学博士。神奈川県出身、56歳。
大学との共同研究に携わっていた頃の一枚(左側が本人) |
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