◇現場での仕事が次につながる◇
大学では農業土木を専攻しました。入社した昭和49(1974)年は同期が186人で、中途採用も含めると240人ほどいましたが、オイルショックの影響で翌年からは大幅に採用人数が減るという時代でした。
東京・代々木の施設で新入社員研修を受け、都内のシールド工事現場に配属されました。所長は同じ大学の先輩で、会社も新人には先輩がいるところがいいだろうと配慮してくれたのだと思います。
現場で最初に覚えた仕事は事務所の掃除です。毎朝の日課であり、「掃除も仕事のうち」が所長の口癖でした。当時、現場事務所の床はベニヤ板の上にワックスが塗ってあるもので、これを掃き掃除すると塗り直さなければなりません。毎日ではなかったものの、一人でやるとたっぷり40分ほどはかかりました。さらに机の上も拭きますので、この掃除が結構きつかったのを覚えています。
一方で、受注して間もない工事でもあったため、工期3年の間に測量や図面の見方など一通りの仕事を教えてもらうことができました。そういった意味では新人として恵まれたスタートを切れたと思います。
この現場では立坑に圧気をかけ、そこから掘進していくための設計も任せていただきました。昼間の仕事を終えて夜に設計するのですが、これには4、5カ月ほどかかったでしょうか。こうした経験を踏ませてもらったこともあり、貫通を迎えた達成感は非常に大きく、貫通式の日には事務所で皆と夜通し騒ぎました。今でもいい思い出になっています。所長からは、図面を精査し、実際に現場を自分の目で見て判断することの大切さを学びました。
ここを皮切りに現場勤務は26年間に及び、これらすべてが都内の現場でした。これまで「いい仕事をしてうまい酒を飲もう」とよく言ってきました。営業の最前線は現場であり、現場でいい仕事をしてこそ、次の仕事につながります。それと仕事はだらだらやらず、エンドを決めてやることが必要です。1日24時間をどううまく使うか。私も若いころに言われたことです。
自分でやれることは、できるだけ人に相談しないでやってきたつもりです。その代わり、自分で無理だと思ったら早めに相談し、助けてもらってきました。
これも大切な仕事の見極めです。こちらからの確認に「大丈夫です」と言っていたにもかかわらず、期限が近づいて「やはりできません」となるのが一番困ります。
社内では「悪い報告こそ早くするように」とも話しています。トラブルが発生した時、処理の仕方で問題が大きくもなるし、小さくもなります。その判断を間違えてはいけません。
(おおすみ・けんいち)1974年宇都宮大農学部卒、大豊建設入社。広島支店工事部長、東京支店土木部長、東北支店副支店長、執行役員東北支店長、取締役常務執行役員東北支店長などを経て、16年から現職。埼玉県出身、65歳。
会社の仲間とハゼ釣りを楽しんだ時の一コマ |
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