2017年1月30日月曜日

【駆け出しのころ】竹中工務店常務執行役員・川島豊氏

 ◇全体最適のために何をするか◇

 大学を卒業するころは、第2次オイルショックの影響で就職が非常に厳しい時代であり、竹中工務店もほとんど新卒採用の募集がありませんでした。しかし、ゼネコンに就職するなら設計に強い竹中工務店と決めていたため、大学院に進学し、2年待ってから入社試験を受けました。

 設計志望で入社しましたが、新社員研修を終えた2年目から施工を担当することになりました。最初に配属されたのは発電所(建屋)の新築工事です。大規模な工事であり、いろいろな情報を集め、関係者間の調整をうまく進めていかないと物事は何も決まっていかないことを学びました。

 それに担当職種の仕事を効率よく進めてもらえるかどうかは、その前工程の段取りにも影響されることが分かり、他の工程のことにも関与するようになっていきました。するといろんな協力会社さんが私に話を聞きに来てくれるようになり、作業所での仕事が楽しくなっていったのを覚えています。

 この作業所に約2年いた後は、大阪で10年ほど勤務し、ホテルや企業の研修施設、音楽ホールのあるビルなどの建築工事を担当しました。このころは国策で日本の建設市場が開放され、外国企業が参入してきた時期と重なります。私はそうした外国勢と勝負するには「彼らのやり方を知らなくてはいけない」と社内でよく言っていました。これが人事担当者の耳に入ったのか、ドイツの建築作業所に赴任することが決まります。初めての海外勤務でした。

 ここの作業所ではドイツ語が分からずに苦労したものです。でも責任ある立場でしたので、打ち合わせを聞いているだけでなく、最後に「きょうの結論はこういうことか」と片言のドイツ語で確認するようにしたんです。初めは「何を聞いていたんだ」などと言われましたが、だんだんとこちらの気持ちが伝わり、スムーズにコミュニケーションが取れるようになりました。

 海外ではその国の文化や歴史を知り、リスペクトすることが大切です。当然、技術は重要ですが、その前にリスペクトするマインドがなくてはいけません。

 これまでに国内外でさまざまな経験を積んできましたが、私はいつも全体最適のために何をしたらいいのかを考え行動するようにしてきたつもりです。社会の価値観や流れが変わる大きなターニングポイントにある時こそ、若い人たちにはチャレンジする意識と力を持ってほしいものです。

 チャンスというのは自分の上でぐるぐる回っています。それをつかみ取るために、飛び上がる力とタイミングを見定められる目を養ってほしいと思います。

 (かわしま・ゆたか)1980年九大大学院工学研究科建築学専攻修了、竹中工務店入社。ドイツ竹中副部長、大阪本店作業所長、ヨーロッパ竹中(ドイツ)事務所長、執行役員国際支店長、常務執行役員国際支店長兼アジア統括部長などを経て、16年から現職。福岡県出身、63歳。

入社して最初に配属された作業所で

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