2017年1月30日月曜日

【建設業の心温まる物語】エム・テック・酒井厚さん(宮城県)

 ◇「また一緒に仕事しよう」と「ごくろうさま」◇

 私は、兄が工業高校の土木科を卒業していたため、同様に土木科に進みました。そして平成3年のバブルの時代に建設会社に入りました。

 現場に配属され現場に出てみると、物の名前が分からず、自分で何が分からないかさえも分からない状態が続き、やめようと思った事は数しれずありました。18歳で監督さんと呼ばれるプレッシャーもありました。それでもやめなかった理由は先輩の存在でした。お互いに励まし、励まされ、そんな日々が約10年続きました。

 そうするうち次第に、自分の中で視野が広がっていきました。現場を1人で運営していくようになり、1級土木施工管理技士を取得することもできました。一人立ちすると他人に指示されることよりも自分で考えることが多くなりました。町の中を歩いていると、同業者工事の見方も変わってきました。「あのように施工すればよいのか」と。同時に自分の施工した場所にも行くようになったり、家族に自慢したりもしました。気がつくと、私服よりも作業服を着ている方が安心し、ヘルメットをかぶらないと違和感があったくらいでした。

 けっして楽な仕事ではありません。しかし、仕事の達成感があることは事実です。くじけそうになったときには、明日家に帰ろう、子供と遊びに行こう、美味しい飯を食おうとポジティブに考えることにしています。失敗しても、間違えても、作った物を壊し作り直したとしても、一人で悩み続けるのではなく、誰かに相談すれば必ず解決し現場は終わります。

 そして一番うれしい瞬間は工事完成時の検査官の「完成とします」、業者から「また一緒に仕事しよう」、地元住民からの「ごくろうさま」の言葉です。この言葉をまた聞くことができるよう、これからも一所懸命にやり続けるつもりです。

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