2017年1月11日水曜日

【シンボル復旧へ事業スタート】熊本城復旧、天守閣修復に先行着手

大林組が提案した天守の復旧イメージ
築城から400年以上、地元のシンボルとして親しまれてきた熊本城。昨年4月の熊本地震によって多くの建物や石垣に被害が発生した。城を管理する熊本市は震災復興計画の中で熊本城復旧を重点プロジェクトの一つに位置付け、特に天守閣の早期復旧を先行して進める。被災者の心のより所であり、地域を代表する観光資源である熊本城の復旧事業が動きだした。

 ◇天守修復に先行着手、19年度の一般公開めざす◇

 熊本城は戦国時代の名将・加藤清正によって1607年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に築城された。周囲約5キロの広大な敷地に大小の天守のほか、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を備える。明治期の西南戦争で天守を含め多くの建物を焼失したが、宇土櫓(うとやぐら)や東竹之丸(ひがしたけのまる)の櫓群など、築城当時の建物も残り、13棟が国の重要文化財に、熊本城の特徴でもある「武者返し」と呼ばれる石垣も国の特別史跡に指定されている。

ひさい 天守は1960年に復元された。連結式望楼型の天守閣の規模はSRC一部RC・S造地下1階地上6階建て延べ3068平方メートル(うち大天守1759平方メートル、小天守1309平方メートル)。熊本市経済観光局観光交流部熊本城総合事務所の河田日出男所長は「熊本城は阿蘇山と並び、地域最大の観光資源だ」と話す。

地震で被災した熊本城
(左から小天守、宇土櫓、大天守)
今回の地震で被災した天守閣の復旧整備事業に当たり、熊本市は設計・施工一括の公募型プロポーザルで優先交渉権者に選定していた大林組と、基本・実施設計業務委託の随意契約を先月交わした。60年の復元工事も同社が手掛けている。

 プロポーザルで大林組は、耐震補強工事による耐震性能向上や大天守最上部まで昇降可能なエレベーター設置、展示計画の刷新などを提案。大天守の復旧は19年3月末、全体の工事完了は21年3月末を目指すとした。

 19年度には天守閣エリアが一般公開される見通しだ。河田所長は「19年の天守復旧のほかバリアフリー設備の導入などの技術提案が評価された」と話し、前回の天守復元を担当した大林組の実績と技術力に期待を寄せる。

 今回委託した業務の内容は躯体復旧、耐震補強、外装復旧などに関する基本・実施設計。今後、石垣の調査・設計業務や内装・展示の設計業務なども順次委託する。工事請負契約については設計の過程で価格交渉を行った上で締結するという。

 大西一史市長は4日の年頭記者会見で「今年から天守閣の復旧事業を本格的に進める」と表明した。天守閣周辺に工事車両などを入れるための仮設スロープの設置や内装の撤去工事などに早急に着手するとともに、17年度には大天守の石垣の撤去と大・小天守の躯体・外装部分の工事契約を締結し、復旧工事に本格着手していく方針だ。

石垣が崩れた飯田丸五階櫓をアーム状の鉄骨で支え倒壊を防止
 ◇全体復旧は20年がかりで推進◇

 天守閣の復旧事業に合わせて、熊本城全体の短期・中期にわたる復旧基本計画の策定も進める。市は策定支援業務を日本設計に委託し、17年度中に計画を固める。河田所長は「本来は熊本城全体の基本計画を作ってから天守閣の復旧事業を進めるべきところだが、復興のシンボルとして天守復旧を先行して進めることが、被災地の復興を後押しする上でより重要視された」と説明。計画の対象期間はおおむね20年を想定。被災した建物や石垣などの改修・建て替えの優先順位のほか、復旧過程での公開エリア、概算費用や全体スケジュールなどを明示していく。

 天守閣の本復旧事業のほか、被災した各施設の崩落・倒壊防止対策などの応急復旧工事も推進中だ。石垣が崩れ、隅石1本で支えている飯田丸五階櫓については、既にアーム状の鉄骨で組み上げた仮受け構台が設置されており、続いて第2期倒壊防止対策に取り組む。

 河田所長は「重要文化財などの建物に比べ、石垣については耐震化という概念が薄かった」とみる。安全対策などを含めた復旧作業に向け、技術者や学識者の意見を踏まえて復旧方法や作業の進め方などの計画の策定を急ぐとしている。

 熊本城の復旧事業全体は約20年の長期にわたって進められることから、一般公開エリアは段階的に拡張されることになる。市は工事現場自体に観光資源としての機能を持たせつつ、工事関係者らと一丸となって早期の復旧に取り組む。

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