高校3年生の時に父親の転勤で、横浜から群馬県の長野原町に引っ越した。新聞が家に配達されないような場所で、それまでと生活が一変した。
「木々に囲まれ、聞こえるのは川の音と鳥の声というすがすがしい場所です。ただ、その年の秋に近くを流れる河川が氾濫し、自然の怖さを知りました」。この経験が自然を相手にした仕事に就きたいと思ったきっかけだという。
島根大学総合理工学部地球資源環境学科に進学。地質学を学び、06年に入社した。入社後2年間は本社技術本部に籍を置き、その後6年間名古屋支店工事部で、現場に従事した。
「初めての現場は新東名高速道路の土工・橋梁下部工工事でした。調査や現場事務所の立ち上げなど、現場の乗り込みから実施工まで担当させてもらいました。事前踏査や調査ボーリングに基づく提案作業や、施工面では仮桟橋や深礎杭などの現場管理を任せていただき、この経験が今の自分の仕事の基礎になっています」
現場に出てみて、女性だからという戸惑いは一切なかった。ただ、「周囲の人たちの方が戸惑い、ものすごく気を使っていたと思うので申し訳なかった」という。
現職の営業職に移って今年で3年目。現場に再び出たい気持ちもあるが、今は営業を続けたい気持ちが強い。「現場ではものをつくり上げていく喜びがありましたが、営業には別の面白さがあります。お客さまとのやりとりの中で、限られた条件でお客さまの要望にどこまで応えられるのか、会社の支援もありますが、最後は私個人の能力が問われます」。さらに、営業段階でできるだけ工事の詳細をお客さまと詰め、営業と現場との溝も埋めていきたい、とも。
支店の女性技術者も現在は4人に増え、社内外で“女性”のつながりが増えてきた。「仲間が増え、女性だけの話もできるようになりましたが、私には地質も現場も営業も“師匠”と思える上司がいます。そうした尊敬できる人になりたいという気持ちに男女は関係ありません。そういう人を目指し吸収できるものは貪欲に吸収したい」。
将来の夢は4人の子どもを育てながら定年まで働くこと。「これが夢じゃちょっと寂しいですよね」とほほ笑む。
(名古屋支店事業部静岡営業所営業課上級主任、ふじしろ・しょうこ)
祥子ちゃん久しぶりだね第二東名高速ではお世話になりました。鉄筋の佐藤です。ブログ視ました
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