2016年7月11日月曜日

【駆け出しのころ】五洋建設常務執行役員土木部門土木営業本部副本部長・島内理氏

 ◇日々の成長に喜びを感じて◇

 父が高知県の職員で、私が小さいころは橋梁の施工現場やダムの堤体の中などに連れて行ってくれました。父と防波堤や川で釣りをしている時に、港湾や土木施設が人々の暮らしに役立っていることをよく話してくれた思い出があります。

 地元の高知県は頻繁に台風に襲われる所です。屋根の瓦が音を立てて転がり落ちて雨漏りが始まったり、次の朝に起きたら家の周り一面が水浸しになっていたりしました。友達の家の屋根が無くなっていたこともあります。

 私の家は海から4キロほど離れていたのですが、台風が来ると聞こえてくる「ドーン」という波の音が怖かったものです。父の影響と災害が多い地域に育ったことが、土木に興味を持ち、建設会社に入りたいと考えた下地になったのではないかと思っています。

 大学では耐震講座に所属していたため、入社してしばらくは土木設計部で耐震設計に携わりました。当時は震度法が主流で、これと合わせて動的なシミュレーションをするのが仕事でした。電子計算機は容量がまだ小さかったため、空いている夜中に耐震解析を行っていました。

 土木設計部にしばらく在籍した後、施工現場や技術研究所、土木の管理部門、経営企画部、四国支店などに勤務します。外部に出向していたこともあります。こうした社歴で一貫したバックボーンになっているのは耐震技術だと思っています。耐震設計やそのための地盤調査、室内試験、原子力発電所の施工など、若いころに耐震技術が必要な職場を多く経験できたことが、技術者としてのベースになっています。

 初めて担当した施工現場はやはり鮮明に覚えています。山間部の急峻(きゅうしゅん)な斜面に道路橋の下部工を建設する工事でした。所長から仮設構造物の設計を任され、昼間は屋外で施工管理、夜は事務所で設計を行う毎日でした。自分が設計した仮設道路に大型の施工機械が初めて載る時などは、「俺が計算したものは大丈夫だろうか」とどきどきしながら見ていました。

 若い人たちには「何でもやってみたら」と言っています。今は以前より仕事の内容が多種多様になっています。どんな仕事でも、どこの職場でも誠実に前向きに取り組めば、さまざまな能力が付き、きっと成長していきます。そして仕事にも会社にも愛着が湧いてきます。そうでないと自分が楽しくないでしょう。若い人たちには、自分が日々成長していることに気付き、喜びを感じながら仕事をしてほしいものです。

 それぞれの職場でさまざまな方々にお世話になり、自分を社会人、技術者として成長させてくれました。青二才がやっと半人前になってきたと思っています。

 (しまうち・さとし)1982年神戸大工学部土木工学科卒、五洋建設入社。経営管理本部経営企画部長、四国支店長、執行役員四国支店長などを経て、16年常務執行役員土木部門土木営業本部副本部長兼購買部担当。高知県出身、58歳。

発電所の工事現場で見学会を案内した時の一枚
(後列右端が本人)

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