陶芸家の故加藤唐九郎の作品に、桃山時代の志野焼を再現した「氷柱」と呼ばれる茶碗がある。名付け親は戦前の三井物産社長の益田孝。表面を流れる白色の釉薬を「氷柱」に見立てて名前としたが、その名にはもう一つの意図があった▼中国の故事にある〈青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し〉。藍草で染めた布が藍より鮮やかな青になるのを師弟関係になぞらえ、弟子が師に優ることを意味する「出藍の誉れ」の語源である▼桃山期に登場した志野焼はすぐに製法が途絶えた後、長く再現されなかった。益田は昭和の志野焼が桃山期のものを超えたとの思いを「氷柱」の名に込めたとされる▼師を超えたのは、明治期に欧米から技術を学んだ日本の建設業も同様だろう。今やゼネコン各社は世界中で多様な構造物を手掛ける。まさに「出藍の誉れ」を具現した形だ▼次に日本に期待されるのはアジア各国への「質の高いインフラの輸出」での貢献。日本の技術者がアジアの若者に何を伝えていくか。技術・技能にとどまらず、社会に果たす技術者の役割もしっかりと伝えてもらいたい。
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