◇責任と立場が気持ちを変える◇
土木技術者の父も鉄建にいたため、私は学生のころから鉄建の現場でアルバイトをしていました。建設業に魅力を感じていましたが、自分で一戸建て住宅を設計して造りたいと思い、土木ではなく建築の道に進みました。
入社したのはオイルショック後で就職が大変に厳しい年でした。親は公務員になってほしかったようですが、役所に入るのもかなり厳しく、地元の市役所は募集もしていなかったと記憶しています。
入社して1週間ほどの研修を終えた後、仙台支店(現東北支店)に配属され、仙台駅南に付随する屋上駐車場と新幹線の高架下に事務所を建てる工事の担当となりました。何も分からなかったこともあるのですが、現場での一日をとても長く感じたものです。会社から「3年間は会社が新入社員に投資し、4年目から返してもらう」と言われていましたので、それまでに少しずつ覚えていこうと考えていました。
入社2年目からは3年間、新幹線の車両基地建設に携わりました。最初の1年間は毎日が杭打ち工事と基礎工事で、やらされている感が強く、やめたいと思ったこともありました。
そして5年目の27歳で初めて詰所の所長になります。これが大きな転機となりました。苦しかったですが、責任感を持って施工し、竣工した時の達成感は大きなものでした。ここの監督者は大変に厳しいことで知られていた方でしたが、素直にいろいろ聞いていると何でも教えて下さり、とても可愛がってもらいました。
人の話をよく聞き、人を大切にする。そしてうそをつかず、問題があっても逃げない。そうしていれば信頼を得られ、助けてももらえる。こうしたことがよく分かった現場でした。
大型現場の所長を任せてもらえたのは、37歳の時でした。そんなに若くては駄目だという声もあったようです。でも、上司が私を信頼して施主に「大丈夫です」と言ってくれたのです。絶対にやってやろうという気持ちになりました。
その後、シンガポールで施工していた大型建築工事の応援に行き、1年間駐在した経験もあります。ここでは、一人では何もできないが、周りの人と力を合わせればさらなる力が発揮できることをあらてめて実感しました。
私の一つの転機が詰所の所長になった時であったように、所長になればいやが応でも責任が発生し、それまでの気持ちとは変わります。若い人たちには、そうした責任を持つ立場になるまではぜひ頑張ってほしいと思っています。
東日本大震災の津波で多くの思い出の写真が流されてしまった中で、 20代の頃の貴重な写真(社内運動会にて) |
0 comments :
コメントを投稿